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“Nach dir, Herr, verlanget mich” BWV 150

《主よ、われ汝をあおぎ望む》 用途:不明初演:1708年以前歌詞:作者不明。第2,4,6曲; 詩篇25, 1-2,5 ,15。編成:SATB, 合唱; Vn1, Vn2, Fg, bc基本資料:総譜の写し(Ch.F.ペンツェルによる)=SBB演奏時間:約15分 【出典】磯山雅・小林義武・鳴海史生 編著『バッハ事典(DAS BACH LEXIKON)』東京書籍、1996年。 🎼 楽譜のリンク IMSLP : BWV 150 目次(全7曲) ※ 曲名をタップすると、各曲の解説にジャンプすることができます。 1. シンフォニア“Sinfonia” 2. 合唱“Nach dir, Herr, verlanget mich” 3. アリア(ソプラノ)“Doch bin und bleibe ich vergnügt” 4. 合唱“Leite…

“Aus der Tiefen rufe ich, Herr, zu dir” BWV 131

《深き淵から主よ、われ汝を呼ばわる》 用途:悔い改めの礼拝?初演:1707マン編? 詩篇第130篇(ルター訳)。第2,4曲; B. リングヴァルトのコラール「主イエス・キリスト、汝こよなき宝」(1588)第2・5節(定旋律=BWV334)。編成:SATB, 合唱; Ob, Fg, Vn, Va1, Va2, bc基本資料:自筆総譜=ニューヨーク、個人蔵(facs:CA)。演奏時間:約25分 【出典】磯山雅・小林義武・鳴海史生 編著『バッハ事典(DAS BACH LEXIKON)』東京書籍、1996年。 🎼 楽譜のリンク IMSLP : BWV 131 目次(全5曲) ※ 曲名をタップすると、各曲の解説にジャンプすることができます。 1. 合唱“Aus der Tiefen rufe ich, Herr, zu dir” 2. アリア(バス)+コラール(ソプラノ)“So du willst, Herr, Sünde…

“Der Herr denket an uns” BWV 196

《主はわれらを御心に留めたまえり》 用途 : おそらく結婚式のために作曲されたと推測されます(初演日とミュールハウゼンでの活動時期から)。初演 : 1708年6月5日? ミュールハウゼン歌詞出典 : 詩篇第115篇12–15節より(ルター訳聖書による)。編成 : ソプラノ、テノール、バス(ソロ)、四声合唱(SATB),ヴァイオリン I, II、ヴィオラ、ファゴット、通奏低音(オルガン等)基本資料 : 総譜:J.L.ディーテルによる筆写譜(1731/32年)=SBB(ベルリン国立図書館所蔵)演奏時間:約13分 【出典】磯山雅・小林義武・鳴海史生 編著『バッハ事典(DAS BACH LEXIKON)』東京書籍、1996年。 全体の解説 カンタータ《Der Herr denket an uns(主はわれらを思い起こされる)》BWV 196 の正確な作曲時期を断定することはできません。ヴィルヘルム・ルストは、このカンタータが婚礼用に作曲されたものであると明確に位置づけましたが、その根拠は「テキストを一見すれば明らか」であるというものでした。 テキストは詩篇115篇からの抜粋で、節12~15が各楽章に1節ずつ配されています。フィリップ・シュピッタは、詩篇の内容から、バッハとマリア・バルバラの結婚に関わった牧師(ヨハン・ローレンツ・シュタウバー)が、婚礼を祝ってこのカンタータを演奏した可能性を示唆しました。シュタウバーは1707年10月17日、ミュールハウゼンのドルンハイム村でバッハとマリア・バルバラの婚礼を執り行い、翌1708年6月5日には、バッハの妻の叔母であるレギーナ・ヴェーデマンの結婚式も同じ教会で執り行いました。このため、シュピッタは同年6月5日が初演日であると判断しました。 このカンタータの詩は自由詩を含まず、音楽様式はブクステフーデを思わせるため、1707/08年に作曲されたと推測されます。また、レチタティーヴォがなく、器楽による前奏と短い楽章で構成されている点からも、バッハ初期の作品とされています。ヴォルフは1708年から1714年(ヴァイマール時代)を作曲時期と絞り込んでおり、近年の研究では、イタリア音楽の影響からバッハ初期(ヴァイマール)に作曲された可能性があると指摘されています。 ただし、原稿(自筆譜やパート譜)は現存しておらず、初期資料に基づいた日付の確証はありません。本版は、ライプツィヒの写譜師ヨハン・ルートヴィヒ・ディーテルによる写譜(1731/32年頃)に基づいています。彼はバッハの主な写譜師の1人であり、原譜に直接アクセスできたと考えられます。今日、この写譜はベルリン国立図書館に所蔵されています。また、19世紀に作られた他の写譜も存在し、ディーテル本とは明らかに異なる読みが見られます。 目次(全5曲) ※ 曲名をタップすると、各曲の解説にジャンプすることができます。 1. シンフォニア“Sinfonia” 2. 合唱“Der Herr denket an…

“Gott ist mein König” BWV 71

《神はわが王なり》 用途:市参事会員交代式初演:1708年2月4日、ミュールハウゼン歌詞:作者不詳。第1曲; 詩篇74, 12。第2曲; サムエル後19, 35および37/J.ヘーレマンのコラール「おお神よ、汝義なる神よ」(1630)第6節(定旋律=BWV399)。第3曲; 申命記33, 25/創世記21, 22。第4曲; 詩篇74, 16-17。第6曲; 詩篇74, 19。編成:SATB, 合唱; Trp3, timp, rec2, ob2, fg, Vn1, Vn2, Va, bc, org基本資料:自筆総譜=SBB(facs.: FR9)オリジナル・パート譜=SBB. オリジナル出版譜=SBB. その他。演奏時間:約18分 【出典】磯山雅・小林義武・鳴海史生 編著『バッハ事典(DAS BACH LEXIKON)』東京書籍、1996年。 🎼 楽譜のリンク IMSLP : BWV 71 全体の解説 カンタータ《Gott ist…

中川 郁太郎: 深き淵より

― 若きバッハの苦悩と輝きと―  1707年の6月、アルンシュタットからミュールハウゼンへとやってきた若きバッハは、同地のオルガンの拡充に着手すると共に、「より整えられた環境」の中で教会音楽全般の整備に乗り出した。 翌年の6月まで、わずか一年に過ぎなかった彼のミュールハウゼン時代は、この教会音楽への積極的な取り組みによって、音楽的な豊穣の時代となった。本日演奏される4つのカンタータも、この時期に誕生したものである。  ミュールハウゼン時代のバッハのカンタータは、まだ多くの点で17世紀以来の伝統にしたがっていた。同時代のハンブルクの牧師、エールトマンによって導入されたオペラ起源のレチタティーヴォ―アリアの形式はまだみられず、テクストそのものも、詩編を中心とし、伝統的に音楽化されてきた聖書箇所にほぼ限られていた。 カンタータ第131番《深き淵より、われ汝に呼ばわる、主よAus der Tiefen rufe ich, Herr, zudir》(BWV131)では、詩編第130編とリングヴァルトの讃美歌《主イエスキリスト、汝こよなき宝Herr Jesu Christ, du höchstes Gut》のテクストとが組み合わされている。 詩編130編は「7つの悔悛詩編」のうちの一つとされ、ウルガータ(ラテン語)訳聖書の「de profundis」という訳語とともに親しまれた。 「深き淵 profundis」とは、「生ける者らの地」(詩編第27編13節)からもっとも遠く低く、死と隣り合わせの場所とされている。 この立ち位置から始まる詩編第130編は「瀕死の苦難にあって神を呼び、ひたすら神の赦しにすがり、救いを待ち望む個人ないし民族の、嘆きと信頼の歌」(松田伊作)とされている。 古来多くの作曲家が、この「深き淵」に思いをめぐらせ、テクストからインスピレーションを得た音楽を書いた。  当時のミュールハウゼンでは三位一体節後に「悔い改めの礼拝」がおこなわれる習慣があったが、直接的にはバッハ着任の直前におこった大火災への「悔い改めの音楽」が必要とされたことが、カンタータ第131番作曲の契機ともされている。  バッハは「深き淵profundis」をどのように音楽化したのであろうか。 第130番、第1曲の短い前奏に続いて合唱各声部に歌われる「深き淵よりAus der Tiefen」のテーマは、下降音型によって「深き淵」の明確なイメージを音として表現している(譜例1)。 (譜例1) だが同時に「そこに追いやられたのは自分の罪の結果なのだ」という、同じ詩編第3節にあらわれる認識をバッハもまた共有しており、このテーマは「深き淵」の単なる描写にとどまらず、そこに居る人間の「へりくだり」をはっきりと示すものとなっている。 合唱が「主よ、私の声を聞いてください」とうたう部分になると音楽はヴィヴァーチェになり(譜例2)、切迫したテンポの中でフーガがあらわれる。 (譜例2) これは、「深き淵」をうたった部分全体を前奏曲としてその後にフーガを導入する、鍵盤作品における「プレリュードとフーガ」の様式にならったものである。 このような「深き淵」における苦難と絶望、そこにおかれた人間の切迫した呼びかけからなる音楽は、バッハ最初期のカンタータ第150番《主よ、われ汝をあおぎ望むNach dir, Herr, verlanget mich》(BWV150)にもみられる。 素朴な悲しみをたたえたシンフォニアに続いてうたわれる第2曲の合唱では「あなたのことを、主よ、私は求めています」という最初の歌詞が、オクターブ上行から明確なラメントバス(嘆きのバス)へと続く悲劇的な旋律線(譜例3)でうたわれる。 (譜例3)…

野村 春美:ABC Vol.3に寄せて -宗教的視点から見たカンタータ作品-

 今回の演目(2025年3月5日 All Bach Cantatas Vol.3 )について、教会暦と典礼、その時朗読された聖書の箇所、およびカンタータのテキストとのつながりを探ってみる。  今でこそバッハの教会カンタータは演奏会で聴くものとなっているが、本来は教会の礼拝、特に主日(日曜日)と特別に定められた祝日の礼拝の一部として演奏されたものである。ルター派の主日の礼拝の典礼はカトリックのミサを概ね引き継いでいて、開会、聖書朗読、説教、そして聖餐式、となっている。 ルターは礼拝での音楽を説教と同じくらい重視しており、ライプツィヒの主要教会では、主日の礼拝で次のように音楽が演奏されていた。オルガンによる前奏に始まり、多声のモテット、キリエ〜グロリアの多声音楽。使徒書簡(時に旧約聖書)朗読、福音書の朗読の後に教会カンタータの第1部が演奏される。 牧師による説教を挟んでサンクトゥスの多声音楽、そして教会カンタータ第2部が演奏され、聖餐式となっていた。聖書朗読の後にカンタータの演奏が行われていることから、礼拝におけるカンタータは説教の一部、あるいは説教をさらに補完する役割ということができる。  説教は、その日に朗読された聖書の内容を解説し、信徒がそのメッセージに則った生活を送るためのものであるが、その朗読される聖書の箇所は教会の暦で規定されている。 教会の暦はキリストの降誕(クリスマス)と復活(イースター)を基準とし、クリスマス前の4週間の待降節から始まる。クリスマスは12月25日からの3日間祝われ、1月6日の「公現日(顕現節)」、いわゆる3博士の訪問日までが降誕節となる。 その後の区切りは復活日となるが、復活日は春分の次の最初の満月の後の日曜日となっているので、毎年日にちが変わる。復活日の前40日間は四旬節といい、イエスの受難と死を記念する期間である。 復活祭は主日から3日間祝われ、その50日後に聖霊降臨祭となる。聖霊が使徒たちに下り、使徒たちがイエスと同じ権限を持って宣教できるようになったことから、聖霊降臨祭は教会の誕生を記念する日となっている。その次の週の日曜日に三位一体の祝日があり、その後の約半年、待降節第1主日までは順番に三位一体後の日曜日を数えていく。  これらの年間予定以外にいくつか指定された祝日がある。例えば受胎告知やマリアのエリザベト訪問などのイエスの母マリアに関する祝日、あるいは新約聖書の中の諸聖人、また宗教改革の記念日などである。  主日の礼拝での聖書朗読は1年の礼拝を通してイエスの生涯とその教えを辿ることが目的である。上記に示した特別な主日や祝日では、その日に関係する箇所が朗読されるが、それ以外の通常の主日は福音書が最初から順番に読まれていく。 現在はマタイ、マルコ、ルカの3福音書を1年ごと順番に読むようになっているが、バッハの時代は地域によって朗読する福音書は異なっていたようである。使徒書簡は福音書の内容をよりわかりやすく信徒に伝える役割を持つ。そのため使徒書簡は福音書の内容と関係する箇所が選ばれる。前述したように教会カンタータは聖書朗読の後に置かれ、説教と深く関わることから、カンタータのテキストはその日の使徒書簡および福音書の朗読箇所と深く結びついているといえる。  前置きが長くなってしまったが、では今回の演目とそれが演奏された日の聖書の箇所を探ってみる。冒頭のBWV81は顕現節後第4日曜日に使われ、使徒書簡はローマの信徒への手紙13章8〜10節、福音書はマタイによる福音書8章23〜27節が朗読されている。 福音書は弟子が船でガリラヤ湖に出た時に嵐に遭って恐れ狼狽える様子を見たイエスが弟子を「なぜ怖がるのか、信仰の薄いものたちよ」と叱り、風と波を叱りつけて嵐を静める場面である。神は信仰する人たちのすぐそばに一緒にいて助けてくださる、ということがキリスト教(ユダヤ教も)の教えの土台の一つであるのだが、それを簡単に忘れてしまう弟子たちをイエスは戒めている。その信仰の根本についてこの日の使徒書簡で説いている。それは「隣人を自分のように愛する」ということである。自らの困難に振り回され他者を蔑ろにしてしまいがちであることを示し、困難な状況であっても神を信頼し、他者を大切にすることを説いている。  次のBWV54は復活前第3日曜日、あるいは三位一体後第3日曜日に使われたとされる。復活前第3日曜日は四旬節中、三位一体後は一般的な日曜日なので教会暦における立ち位置はだいぶ異なるのだが、朗読された聖書の内容にはある程度共通点があるように思われる。それは神を信頼すること、それを実践することの重要性である。復活前第3日曜日の場合は使徒書簡がエフェソの信徒への手紙5章14−28節、福音書はルカによる福音書11章14−28節。使徒書簡ではキリストの十字架上での死をもって私たちを救ったことに倣い、愛によって日々を過ごすことを説いている。福音書はイエスが悪霊を追い出せるのは悪霊の頭の力を借りているためだ、という批判に対するイエスの反論、いわゆるベルゼブル論争の場面である。 三位一体後第3日曜日の朗読箇所はローマの信徒への手紙6章19−23節、マルコによる福音書8章1−9節。福音書は有名な7つのパンと魚を4千人に分ける奇跡の話である。この奇跡は、実際パンや魚が4千人分に細胞分裂のように分裂して増えたのではなく、イエスと弟子たちが手持ちの食料を全て、集まった人たちに提供する姿を見て自分用の食料をもっている人々がもっているものを出し合った結果、皆が「満たされた」と感じた、と解釈される。書簡では神の意に従う義の奴隷として自分を捧げることを説いているが、それは人のためにもの惜しみなく尽くす姿勢である。カンタータのテキストは主にルカの内容に沿っているが、第3曲のアルトのアリアにある「rechter Andacht」の内容が使徒書簡の内容と考えられる。  讃美歌集第2編にも収められているBWV478は、後述するシメオン老人の、死が神に祝福されたものであることを願う気持ちを代弁しているかのように思われる。続くBWV82はマリアの潔めの祝日のためのカンタータである。マリアの潔めとは、朗読箇所であるルカによる福音書2章22−32節にある、マリアが出産後決められた期間を過ぎたのち、律法に定められた通りイエスを連れて神殿に詣で、定められた犠牲を捧げて身を潔めたことを指す。この日が教会暦で祝日となっているのは、その神殿で「救世主に会う」と預言されたシメオン老人に出会い、イエスが「救い主である」と公の場で宣言されたからである。 この記事に合わせて、この日は使徒書簡ではなく旧約聖書のマラキ書3章1−4節が朗読されるが、この箇所は、救い主は前触れなく来て世を清め、献げ物を正しくささげるものとする、という預言を示す。マリアの潔めは、イエスが救い主であることから、マリアだけでなく全ての人々の潔めとなることを述べているのである。カンタータのテキストはシメオン老人が預言の成就によって満ち足りて死を迎えることを自らになぞらえ、救い主による苦難からの解放を歌っている。  後半は、冒頭の詩編42をもとにしたブクステフーデのラテン語モテットで、涸れた谷で鹿が水を求めてさまようように神を求める人々の姿を示したうえで、BWV51が演奏される。BWV51は三位一体節後第15日曜日に使用されたとされるが、そのほかの主日でも使用できる、としているため、その日の朗読箇所とカンタータのテキストに直接的な関連はあまりなく、神への純粋な賛美を歌う。 ただ、この日の使徒書簡のガラテアの信徒への手紙5章25節-6章10節は信仰に基づいた助け合いの重要性を説き、福音書のマタイによる福音書6章23−34節は日々の様々なことに煩わされず、神により頼み生活せよ、と説く。その点から見るとカンタータのテキストは、朗読箇所に示された生活を送ることによって安心を得た信徒の、神への感謝と賛美を歌っているといえるのではないだろうか。  「私を忘れないでください」と繰り返し歌うBWV505に続くBWV57は12月26日、クリスマス第2日及び聖ステファノの祝日の礼拝で使用された。クリスマス第2日は羊飼いたちがベツレヘムで生まれたばかりのイエスに会った日、聖ステファノはイエスの昇天後各地で宣教した使徒たちの中で、最初に殉教した人物である。この日の朗読箇所は上記2つの記念のどちらにするのかによって異なるが、BWV57は第1曲のテキストにヤコブの手紙を用い、試練を耐え忍ぶために神の支えが必要であること、それを得られた時の安心を歌っている。であるのでBWV57は聖ステファノの祝日のために作られたといえる。聖ステファノの祝日としての朗読箇所は、使徒言行録6章8−15節及び7章55−60節のステファノの逮捕と殉教の場面、福音書はその預言ともいえるマタイによる福音書23章35−39節である。 23章でイエスは律法学者やファリサイ派の批判を繰り返すが、朗読箇所であるその最後に彼ら(を含めたイスラエルの人々全て)が旧約聖書の時代に繰り返し預言者のメッセージを否定し迫害したことによってエルサレムが荒れ果てる、と述べている。歴史的にはローマとのユダヤ戦争によって紀元70年にエルサレムが陥落、その後第2次ユダヤ戦争で神殿が破壊されディアスポラ=民族離散が起きている。  今回の演目に共通することは、「信仰に依った生き方」とそれを全うした生の最後に訪れる死がその信仰によって神のもとでの安らぎに満ちたものとなる、というメッセージであるように思う。折しも3月5日の水曜日は四旬節の始まりである灰の水曜日である。四旬節の期間はカンタータなどの演奏を控えていたというが、四旬節中の演奏会としてふさわしい演目だと思う。 (文:野村 春美) 参考文献;日本聖書教会『聖書』(新共同訳)久保田慶一(編)『バッハキーワード事典』(春秋社、2012)那須田努『教会暦で楽しむバッハの教会カンタータ』(春秋社、2023)