《貧しい者たちは食べて満ち足り》
用途:三位一体節後第1主日
初演:1723年5月30日、ライプツィヒ
福音書:ルカ16, 19-31(富める者とラザロの譬え)
歌詞:作者不詳。第1曲;詩篇22, 27。第7・14曲;S. ローディガストのコラール「Was Gott tut, das ist wohlgetan」第2節・第6節。
編成:合唱; S, A, T, B 独唱; Tp, Ob2, Ob d’amore, Vn1, Vn2, Va, Fg, bc.
基本資料:自筆総譜(現存)
演奏時間:約40分
【出典】
Bach Digital を参照して作成。
🎼 楽譜のリンク
IMSLP: BWV 75
目次(全14曲)
※ 曲名をタップすると、各曲の解説にジャンプすることができます。
1. 合唱(Chorus)
“Die Elenden sollen essen”
2. レチタティーヴォ(バス)
“Was hilft des Purpurs Majestät”
3. アリア(テノール)
“Mein Jesus soll mein alles sein”
4. レチタティーヴォ(テノール)
“Gott stürzet und erhöhet”
5. アリア(ソプラノ)
“Ich nehme mein Leiden mit Freuden auf mich”
6. レチタティーヴォ(ソプラノ)
“Indes schenkt Gott ein gut Gewissen”
7. コラール
“Was Gott tut, das ist wohlgetan”
Nach der Predigt
8. シンフォニア
“Sinfonia”
9. レチタティーヴォ(アルト)
“Nur eines kränkt”
10. アリア(アルト)
“Jesus macht mich geistlich reich”
11. レチタティーヴォ(バス)
“Wer nur in Jesu bleibt”
12. アリア(バス)
“Mein Herze glaubt und liebt”
全体の解説
カンタータ《貧しい者たちは食べて満ち足り》は、トーマス教会の新任カントルとして就任したバッハが、1723年5月30日にライプツィヒで初めて披露した作品です。
引っ越してきたのはわずか8日前のことでした。
この出来事はハンブルクの新聞にも報じられました。
「去る土曜日の昼、ケーテンから4台の荷馬車がやってきた。かの地の元宮廷楽長にして、ライプツィヒに招聘されたカントル・フィグラリスの家財を積んでいた。午後2時には本人も家族とともに2台の馬車で到着し、トーマス学校の新改装された住居に入居した。」
演奏が行われたことは複数の記録者が書き留めており、そのひとりはこう記しています。
「三位一体節後第1日曜日、新任のカントルならびに音楽監督ヨハン・ゼバスティアン・バッハ氏が、良き喝采のもとで自身の最初の音楽を披露した。」
また別の報告は、バッハが「聖ニコライ教会での最初の音楽をもって、市内の諸教会でその職に就いた」と伝えています。
この重要な日に向けてバッハがどのような準備をしたかは、どこにも伝わっていません。
移住前からすでに作曲していた可能性はありますが、それには演奏日がある程度前もって決まっており、時間通りに着手できていたことが前提となります。
詳しいことはわかりませんし、テキストの作者も不明のままです。
台本の第一部は、その日曜日の福音書 —— ルカ16章の富める者と貧しいラザロのたとえ話 —— に沿った内容となっています。
「ある金持ちの男がいた。紫の衣や上等の麻布をまとい、毎日ぜいたくに楽しんで暮らしていた。
またラザロという貧しい者がいて、でき物だらけの身体で門前に寝ており、食卓から落ちるもので腹を満たしたいと思っていたが、犬たちが来てそのでき物をなめた。
やがてラザロは死んで天使たちに担がれてアブラハムのふところへ運ばれ、金持ちも死んで冥界で苦しんだ。
目を上げると遠くにアブラハムとラザロの姿が見えた。
『父アブラハムよ、ラザロを遣わして指の先を水に浸し、舌を冷やさせてください』と叫ぶと、アブラハムはこう答えた。
『おまえは生きている間に良いものを受け、ラザロは苦しみを受けていた。今は逆転している。』」
この見知らぬ作詞家は、台本の冒頭に福音書のたとえ話に相応しい第22篇の詩句 —— キリストの受難詩篇 —— を置いています。
続いて自由な詩句、三つのレチタティーヴォ、二つのアリアによって福音書が言い換えられていきます。
最初のペアは紫衣をまとった富める者への言及から始まります。
「紫衣の壮麗さが何の役に立とうか、やがてそれは消え去るのに」とレチタティーヴォが問いかけ、アリアでは「わが主イエスよ、あなたはわが全て」と答えます。
次のペアでは富める者と貧しき者の対照的な運命が扱われます。
「神は時と永遠において倒し、また高められる」とレチタティーヴォが語り、アリアでは「わたしはラザロの苦しみをよろこびをもって担おう」と続きます。
第三のレチタティーヴォは第一部の結びへと導き、ロディガストのコラール《神のなさることはすべてよし》第5節が歌われます。
説教後の第二部は、冒頭の詩篇節を除けば第一部とまったく同じ構成です。
三つのレチタティーヴォ、二つのアリア、一つのコラール節です。
ただしテーマは変わり、貧しさと豊かさという福音書の問いが、今度は個々の信仰者の内面へと引き寄せられます。
最初のレチタティーヴォが「霊的な貧しさ」と内なる力の欠如を嘆くと、アリア「イエスはわたしを霊的に豊かにしてくださる」がこれに応えます。
山上の垂訓の「心の貧しい人々は幸いである」という言葉が背景に響いているかもしれません。
次のレチタティーヴォが自己放棄と地上的なものへの諦念を促すと、アリア「わが心は信じ愛す」の確信に満ちた言葉が続きます。
「ああ、富よ、汝のごとき豊かさはない!」で始まる最後のレチタティーヴォはたとえ話の核心をまとめ、ロディガストのコラール《神のなさることはすべてよし》の最終節へと導いてカンタータは幕を閉じます。
バッハのこの広大なテキストへの作曲は、ライプツィヒという重要な都市での新たな出発にふさわしい規模を持っています。
壮大な冒頭合唱はフランス風序曲の形式をとり、二部構成(プレリュードとフーガ)となっています。
ホ短調で書かれ、オクターヴの跳躍、厳しい付点のリズムによる前奏は、貧しい者の嘆き・叫びのモティーフとして何度も繰り返されます。
後半のフーガ部分では、ソリストによる四重唱に始まり、やがてトゥッティとなって「あなたがたの心は永遠に生きる」が輝かしく歌われ終止します。
弦楽伴奏のバス・レチタティーヴォに続き、テノール独唱「わが主イエスよ、あなたはわが全て」が置かれています(ポロネーズのリズムによる軽やかなアリア)。
短いテノール・レチタティーヴォに続くアリアでは、ソプラノとオーボエ・ダモーレの軽やかな掛け合いが印象的です。
「苦しみ」はひそやかに扱われながら、「よろこび」がしだいに広がっていきます。
第一部の締めくくりとして、短いレチタティーヴォのあとにコラール楽章が置かれますが、単純な四声部和声にとどまらず、器楽の伴奏付き(部分的には協奏的な趣)の大袈裟なものとなっています。
同じコラール旋律《神のなさることはすべてよし》が、第二部の冒頭に器楽楽章として再び現れます。
対位法的に書かれた弦楽四重奏の上に、コラール旋律が一行ずつトランペットで演奏されます。
第一部と同じく最初のレチタティーヴォは弦楽伴奏(アッコンパニャート)で、その弦楽がアルト・アリア「イエスはわたしを霊的に豊かにしてくださる」のオブリガート声部として全員奏して(ユニゾン)で絡み合います。
第四の、そして最後のアリア(バス)で初めてバッハはトランペットソロ・弦楽器を協奏的に結び合わせます。
「わが心は信じ愛す」という書き出しは、勝利への確信として解釈されています。
カンタータの結びは第一部末尾の器楽伴奏つきコラールを再び演奏します。
テキストのみ異なり、ロディガストのコラール《神のなさることはすべてよし》の最終節が歌われます。
参考文献
ハンス=ヨアヒム・シュルツェ
出典:H.-J. Schulze, Die Bach-Kantaten. Einführungen zu sämtlichen Kantaten Johann Sebastian Bachs, Leipzig und Stuttgart 2006 (CV 24.046).
制作ノート
第一曲のプレリュード部分については、フランス風序曲の演奏慣習に習い、冒頭楽章の付点音符を含むリズム型はやや詰めて鋭く演奏します。
第3曲のスラーについては各パートで違いが見られますが、テノール歌唱部分のテクストに準じたものと2音ずつのスラーを組み合わせた形に統一して演奏することといたします。
第4曲のレチタティーヴォについては、16フィート(コントラバス)を加えます。カンタータの規模と男性歌手が歌うことが理由です。
第5曲のアリアの通奏低音はファゴット・オルガン・16フィート(コントラバス)を選択します。オーボエ・ダモーレとともに木管によるアンサンブルの世界を描きます。
第11、13曲のレチタティーヴォについても、16フィート(コントラバス)を加えます。理由は同上です。
2026年5月26日
圓谷 俊貴
1. 合唱(Chorus)
“Die Elenden sollen essen”
歌詞
Die Elenden sollen essen, daß sie satt werden,
und die nach dem Herrn fragen, werden ihn preisen.
Euer Herz soll ewiglich leben.
(Psalm 22:25)
貧しい者たちは食べて満ち足り、
主を求める者たちは主をほめたたえる。
あなたがたの心は永遠に生きる。
(詩篇 22:25)
詩篇 22:25
詩篇22篇は「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という言葉で始まる、キリストの受難詩篇として知られる詩篇です。
イエスが十字架上で引用したことでも有名で、深い苦しみと神への訴えから始まりながら、後半では信頼と賛美へと転じていきます。
25節はその後半部分にあたります。
苦しみの中にある者、貧しい者、見捨てられた者が、やがて食べて満ち足りるという約束 —— それは目に見える豊かさへの約束ではなく、神のもとで魂が深く満たされるという約束です。
「主を求める者たちは主をほめたたえる」という言葉は、苦しみを通り抜けた者が神への賛美へと至るという信仰の旅路を示しています。
「あなたがたの心は永遠に生きる」という締めくくりは、地上の貧しさや苦しみが永遠の命の前では一時のものにすぎないという視点を与えます。
楽曲の分析
詩篇22篇の言葉による壮大な合唱曲です。
プレリュードとフーガの二部構成をとり、プレリュードにフランス風序曲の要素を組み込むというアイデアに富んだ書法からも、このカンタータにかけるバッハの意気込みが伝わってきます。
ホ短調の調性、オクターヴの跳躍、厳しい付点のリズムによる前奏は、貧しい者の嘆き・叫びのモティーフとして何度も繰り返されます。
その間にオーボエ1によるオブリガートが挿入され、「我を導きたまえ」と神に訴えているかのようです。

対位法的に書かれた合唱は、「貧しい者たちは食べて満ち足りる」という約束を、切なる願いを持って歌います。
それぞれが独立した動きをする声部の重なりは美しく、”und die nach dem Herrn fragen”(主を求める者たちは)の箇所では上行形のモティーフが神への問いかけを描きます。

“fragen”(求める)と “preisen”(ほめたたえる)のメリスマも修辞的に雄弁です(ヒュポティポーシス)。
“preisen” で高揚した音楽は勢いそのままにフーガへと移行します。ソリストによる四重唱に始まり、やがてトゥッティとなって「あなたがたの心は永遠に生きる」が輝かしく歌われ、終止します。

2. レチタティーヴォ(バス)
“Was hilft des Purpurs Majestät”
歌詞
Was hilft des Purpurs Majestät,
Da sie vergeht?
Was hilft der größte Überfluß,
Weil alles, so wir sehen,
Verschwinden muß?
Was hilft der Kitzel eitler Sinnen,
Denn unser Leib muß selbst von hinnen?
Ach, wie geschwind ist es geschehen,
Daß Reichtum, Wollust, Pracht
Den Geist zur Hölle macht!
紫衣の威厳が何の役に立とう、
それは消え去るのに。
この上ない豊かさが何の役に立とう、
私たちの目に見えるすべてのものが
消え失せねばならないのに。
空虚な快楽の誘惑が何の役に立とう、
私たちの身体そのものが去っていかねばならないのに。
ああ、なんとたちまち起こることか、
富も快楽も華やかさも
魂を地獄へ追いやってしまうとは。
楽曲の分析
弦楽器による伴奏を伴い、バスが広い音域を駆使して警告の言葉を語ります。
「紫衣の威厳が何の役に立とう」「この上ない豊かさが何の役に立とう」—— アナフォーラによる問いかけが繰り返され、富も快楽も魂を地獄へ追いやるという言葉が厳しく語られます。
“Wollust”(快楽)の語に置かれた異様に高い音 fis(ヒュポティポーシス)が、快楽そのものを揶揄するかのように歌われます。

3. アリア(テノール)
“Mein Jesus soll mein alles sein”
歌詞
Mein Jesus soll mein alles sein!
Mein Purpur ist sein teures Blut,
Er selbst mein allerhöchstes Gut,
Und seines Geistes Liebesglut
Mein allersüß’ster Freudenwein.
わがイエスこそ、わがすべてであらねばならない。
わたしの紫衣は、その尊い御血。
御自身こそ、わたしの最も高き宝。
その御霊の愛の炎こそ、
わたしの最も甘き喜びの葡萄酒。
楽曲の分析
最上の宝としてのイエスへの讃美を歌うアリアです。
ポロネーズのリズムが軽やかで明るい印象をもたらします。
第2曲で富の象徴として語られた「紫衣」が、ここでは全く異なる意味を帯びます(アンティテーシス)。
イエスの「Blut 血潮」が歌われる部分では、オーボエの旋律に「十字架動機」が見られます。

4. レチタティーヴォ(テノール)
“Gott stürzet und erhöhet”
歌詞
Gott stürzet und erhöhet
In Zeit und Ewigkeit.
Wer in der Welt den Himmel sucht,
Wird dort verflucht.
Wer aber hier die Hölle überstehet,
Wird dort erfreut.
神は倒し、また高められる。
時においても、永遠においても。
この世に楽園を求める者は、
かしこ(あの世)で呪われる。
しかしここで地獄を耐え忍ぶ者は、
かしこ(あの世)で喜びを与えられる。
楽曲の分析
神の秤は人間のそれとは全く異なることを語ります。
地上で楽園を求める者はあの世で呪われ、苦しみを耐え忍ぶ者にはかしこで喜びを与えられると、この世の秩序を神がひっくり返します。
“Himmel”(天)では高い音域へと上行し(アナバシス)、”Hölle”(地獄)では低い音域へと下降する(カタバシス)—— この音域の対照が楽譜上にも視覚的に現れ、”verflucht”(呪われる)と “erfreut”(喜ばされる)という言葉の対比(アンティテーシス)をさらに鮮明に描き出します。

5. アリア(ソプラノ)
“Ich nehme mein Leiden mit Freuden auf mich”
歌詞
Ich nehme mein Leiden mit Freuden auf mich.
Wer Lazarus’ Plagen
Geduldig ertragen,
Den nehmen die Engel zu sich.
わたしは自らの苦しみを、喜びをもって引き受けよう。
ラザロの苦しみを
忍耐して担う者を、
天使たちは引き取る。
楽曲の分析
オーボエ・ダモーレのソロを伴うイ短調、3/8拍子のダ・カーポ・アリアです。
福音書のラザロの逸話をふまえ、ソプラノが苦難を自ら引き受けようと決心します。
短調の物悲しい楽想でありながら、メヌエット調の優雅なリズムに魂の喜びが宿っています。
“Freuden”(喜び)と “Engel”(天使)のメリスマは修辞的です(ヒュポティポーシス)。

6. レチタティーヴォ(ソプラノ)
“Indes schenkt Gott ein gut Gewissen”
歌詞
Indes schenkt Gott ein gut Gewissen,
Dabei ein Christe kann
Ein kleines Gut mit großer Lust genießen.
Ja, führt er auch durch lange Not
Zum Tod,
So ist es doch am Ende wohlgetan.
その一方で、神は良き良心を与えてくださる。
それがあればキリスト者は、
わずかなものをも大きな喜びをもって味わうことができる。
たとえ神が長い苦しみを通して
死へと導かれるとしても、
それでも終わりには、すべてよしとなる。
楽曲の分析
苦難を引き受けようと決心した魂が、良きキリスト者の姿を語ります。
死さえも神の善き御業として受け止めるこの言葉が、次曲のコラールを導きます。

7. コラール
“Was Gott tut, das ist wohlgetan”
歌詞
Was Gott tut, das ist wohlgetan;
Muß ich den Kelch gleich schmecken,
Der bitter ist nach meinem Wahn,
Laß ich mich doch nicht schrecken,
Weil doch zuletzt
Ich werd ergötzt
Mit süßem Trost im Herzen;
Da weichen alle Schmerzen.
(“Was Gott tut, das ist wohlgetan,” verse 5)
神のなさることはすべてよし。
たとえわたしがあの杯を味わわねばならず、
それがわたしには苦く感じられるとも、
わたしはなお恐れはしない。
なぜならついには、
わたしは喜びに満たされ、
心には甘い慰めが与えられ、
すべての苦しみは去るからである。
(コラール「Was Gott tut, das ist wohlgetan」第5節)
楽曲の分析
第一部を締めくくるに相応しい大規模な楽章で、喜ばしく湧きあがる前奏に導かれて合唱が歌われます。
単純な四声部和声にとどまらず、器楽の前奏・間奏・後奏が付され、部分的には協奏的な趣を帯びた華やかなコラールです。
前奏や間奏のモティーフ(器楽)はコラール旋律に由来していると考えます。
そのため、曲全体に統一感があり、このコラールがカンタータ全体の核心であることを、より印象づけています。
「すべての苦しみは去る」最後の一文は第一部を締めくくるにふさわしい、確信に満ちた言葉として響き渡ります。

8. シンフォニア
“Sinfonia”
楽曲の分析
第一部を締めくくったコラールが、ここではトランペット協奏曲風の器楽曲として登場します。
弦楽の対位法的で生き生きとした合奏を従えて、トランペットがコラール旋律を一行ずつ奏でていきます。

9. レチタティーヴォ(アルト)
“Nur eines kränkt”
歌詞
Nur eines kränkt
Ein christliches Gemüte:
Wenn es an seines Geistes Armut denkt.
Es gläubt zwar Gottes Güte,
Die alles neu erschafft;
Doch mangelt ihm die Kraft,
Dem überirdschen Leben
Das Wachstum und die Frucht zu geben.
ただ一つのことだけが
キリスト者の心を痛める。
それは、自らの霊の貧しさを思うとき。
その人はたしかに神の善を信じている、
その善はすべてを新しく創り出す。
しかし彼には力が欠けている、
霊的ないのちに
成長と実りを与えるための力が。
楽曲の分析
弦楽を伴奏(アッコンパニャート)に、貧富のテーマが内面の問いへと転換されます。
神を信じてはいるけれど、その信仰を霊的な成長や実りへと結びつける力が自分には欠けている —— キリスト者自身の内なる弱さの告白が語られます。
自らの霊の貧しさをどう克服すればよいのか、その問いが次曲のアリアへと続きます。

10. アリア(アルト)
“Jesus macht mich geistlich reich”
歌詞
Jesus macht mich geistlich reich.
Kann ich seinen Geist empfangen,
Will ich weiter nichts verlangen;
Denn mein Leben wächst zugleich.
Jesus macht mich geistlich reich.
イエスはわたしを霊的に豊かにしてくださる。
その御霊を受けることができるなら、
わたしはもはやほかに何も望まない。
なぜなら、わたしのいのちもまた育っていくからだ。
イエスはわたしを霊的に豊かにしてくださる。
楽曲の分析
前曲の問い ——「自らの霊の貧しさをどう克服すればよいのか」—— に対して、このアリアは明快に答えます。
霊の豊かさはイエスによって与えられるのだ、と。
この確信を、アルトが足取りも軽いパスピエのリズムに乗せて歌います。
ヴァイオリン全員がユニゾンで奏することも印象的で、「答えはこれ以外にはない!」と力強く言い切っているかのようです。
“reich”(豊かさ)の語にはメリスマが施され、修辞的です(ヒュポティポーシス)。

11. レチタティーヴォ(バス)
“Wer nur in Jesu bleibt”
歌詞
Wer nur in Jesu bleibt,
Die Selbstverleugnung treibt,
Daß er in Gottes Liebe
Sich gläubig übe,
Hat, wenn das Irdische verschwunden,
Sich selbst und Gott gefunden.
ただイエスのうちにとどまり、
自己否定を実践し、
神の愛のうちに
信じつつ励む者は、
地上のものが消え去るとき、
自分自身と神とを見いだす。
楽曲の分析
ただイエスのうちにとどまる者は、地上のすべてが消え去るときにも、自分自身と神とを見いだすことができる —— 終末への確かな期待が語られます。
“Irdische”(地上のもの)に置かれた最高音が “verschwunden”(消え去る)で下降する —— この旋律の動きが地上的なものの消滅を描きます(ヒュポティポーシス)。

12. アリア(バス)
“Mein Herze glaubt und liebt”
歌詞
Mein Herze glaubt und liebt.
Denn Jesu süße Flammen,
Aus den’ die meinen stammen,
Gehn über mich zusammen,
Weil er sich mir ergibt.
わたしの心は信じ、そして愛する。
なぜならイエスの甘い炎、
そこからわたしの炎も生まれるその炎が、
わたしの上に合わさって満ちてくる
主がご自身をわたしに与えてくださるゆえに。
楽曲の分析
華麗なトランペットのオブリガートが輝きを放つアリアです。
「わたしの心は信じ、そして愛する」—— この確信を、バッハは勝利のイメージと重ね合わせます。
トランペットの持つ輝かしい音色はまさに勝利の象徴であり、信じ愛する心こそが勝利へとつながるのだ、とバスが高らかに歌います。
「イエスの甘い炎がわたしの上に満ちてくる」という歌詞のとおり、主題のモティーフは燃え立つような炎、英雄的で勝利を確信する陽のエネルギーに満ちた音形です。

13. レチタティーヴォ(テノール)
“O Armut, der kein Reichtum gleicht”
歌詞
O Armut, der kein Reichtum gleicht!
Wenn aus dem Herzen
Die ganze Welt entweicht
Und Jesus nur allein regiert.
So wird ein Christ zu Gott geführt!
Gib, Gott, daß wir es nicht verscherzen!
おお、どんな富にも比べられぬ貧しさよ。
心の内から
この世のすべてが去り、
ただイエスだけが支配するとき、
そのときキリスト者は神のもとへ導かれる。
神よ、どうか私たちがそれをみすみす失うことのないように。
楽曲の分析
テノールが貧しさを讃美します。
ラザロのように現世では何も持たず貧困に喘いでいても、イエスを信じるならば神のもとへ導かれる。
だから心配はいらない —— 貧富を問い続けてきたこのカンタータの答えを宣言します。

14. コラール
“Was Gott tut, das ist wohlgetan”
歌詞
Was Gott tut, das ist wohlgetan,
Dabei will ich verbleiben.
Es mag mich auf die rauhe Bahn
Not, Tod und Elend treiben;
So wird Gott mich
Ganz väterlich
In seinen Armen halten;
Drum laß ich ihn nur walten.
(“Was Gott tut, das ist wohlgetan,” verse 6)
神のなさることはすべてよし、
そのことにわたしはとどまり続けよう。
たとえ苦難と死と悲惨が
わたしを荒々しい道へと追いやるとしても、
それでも神は
まことに父のように
その御腕の中にわたしを抱いてくださる。
ゆえにわたしはただ神に委ねる。
(コラール「Was Gott tut, das ist wohlgetan」第6節)
楽曲の分析
楽曲の構成は、第7曲と全く同じです。
神は我々を見捨てない、迷わず信ずるのだ——さすれば今日も明日も、そして死の後でさえも、神の御腕の中に抱かれている。
この確信をもって、全曲は幕を閉じます。

2026年5月26日 圓谷 俊貴