カンタータ《貧しい者たちは食べて満ち足り》は、トーマス教会の新任カントルとして就任したバッハが、1723年5月30日にライプツィヒで初めて披露した作品です。引っ越してきたのはわずか8日前のことでした。
この出来事はハンブルクの新聞にも報じられました。「去る土曜日の昼、ケーテンから4台の荷馬車がやってきた。かの地の元宮廷楽長にして、ライプツィヒに招聘されたカントル・フィグラリスの家財を積んでいた。午後2時には本人も家族とともに2台の馬車で到着し、トーマス学校の新改装された住居に入居した。」
演奏が行われたことは複数の記録者が書き留めており、そのひとりはこう記しています。「三位一体節後第1日曜日、新任のカントルならびに音楽監督ヨハン・ゼバスティアン・バッハ氏が、良き喝采のもとで自身の最初の音楽を披露した。」また別の報告は、バッハが「聖ニコライ教会での最初の音楽をもって、市内の諸教会でその職に就いた」と伝えています。
この重要な日に向けてバッハがどのような準備をしたかは、どこにも伝わっていません。移住前からすでに作曲していた可能性はありますが、それには演奏日がある程度前もって決まっており、時間通りに着手できていたことが前提となります。詳しいことはわかりませんし、テキストの作者も不明のままです。
台本の第一部は、その日曜日の福音書 —— ルカ16章の富める者と貧しいラザロのたとえ話 —— に沿った内容となっています。「ある金持ちの男がいた。紫の衣や上等の麻布をまとい、毎日ぜいたくに楽しんで暮らしていた。またラザロという貧しい者がいて、でき物だらけの身体で門前に寝ており、食卓から落ちるもので腹を満たしたいと思っていたが、犬たちが来てそのでき物をなめた。やがてラザロは死んで天使たちに担がれてアブラハムのふところへ運ばれ、金持ちも死んで冥界で苦しんだ。目を上げると遠くにアブラハムとラザロの姿が見えた。『父アブラハムよ、ラザロを遣わして指の先を水に浸し、舌を冷やさせてください』と叫ぶと、アブラハムはこう答えた。『おまえは生きている間に良いものを受け、ラザロは苦しみを受けていた。今は逆転している。』」
この見知らぬ作詞家は、台本の冒頭に福音書のたとえ話に相応しい第22篇の詩句 —— キリストの受難詩篇 —— を置いています。続いて自由な詩句、三つのレチタティーヴォ、二つのアリアによって福音書が言い換えられていきます。最初のペアは紫衣をまとった富める者への言及から始まります。「紫衣の壮麗さが何の役に立とうか、やがてそれは消え去るのに」とレチタティーヴォが問いかけ、アリアでは「わが主イエスよ、あなたはわが全て」と答えます。次のペアでは富める者と貧しき者の対照的な運命が扱われます。「神は時と永遠において倒し、また高められる」とレチタティーヴォが語り、アリアでは「わたしはラザロの苦しみをよろこびをもって担おう」と続きます。第三のレチタティーヴォは第一部の結びへと導き、ロディガストのコラール《神のなさることはすべてよし》第5節が歌われます。
説教後の第二部は、冒頭の詩篇節を除けば第一部とまったく同じ構成です。三つのレチタティーヴォ、二つのアリア、一つのコラール節です。ただしテーマは変わり、貧しさと豊かさという福音書の問いが、今度は個々の信仰者の内面へと引き寄せられます。最初のレチタティーヴォが「霊的な貧しさ」と内なる力の欠如を嘆くと、アリア「イエスはわたしを霊的に豊かにしてくださる」がこれに応えます。山上の垂訓の「心の貧しい人々は幸いである」という言葉が背景に響いているかもしれません。次のレチタティーヴォが自己放棄と地上的なものへの諦念を促すと、アリア「わが心は信じ愛す」の確信に満ちた言葉が続きます。「ああ、富よ、汝のごとき豊かさはない!」で始まる最後のレチタティーヴォはたとえ話の核心をまとめ、ロディガストのコラール《神のなさることはすべてよし》の最終節へと導いてカンタータは幕を閉じます。
バッハのこの広大なテキストへの作曲は、ライプツィヒという重要な都市での新たな出発にふさわしい規模を持っています。壮大な冒頭合唱はフランス風序曲の形式をとり、二部構成(プレリュードとフーガ)となっています。ホ短調で書かれ、オクターヴの跳躍、厳しい付点のリズムによる前奏は、貧しい者の嘆き・叫びのモティーフとして何度も繰り返されます。後半のフーガ部分では、ソリストによる四重唱に始まり、やがてトゥッティとなって「あなたがたの心は永遠に生きる」が輝かしく歌われ終止します。弦楽伴奏のバス・レチタティーヴォに続き、テノール独唱「わが主イエスよ、あなたはわが全て」が置かれています(ポロネーズのリズムによる軽やかなアリア)。
短いテノール・レチタティーヴォに続くアリアでは、ソプラノとオーボエ・ダモーレの軽やかな掛け合いが印象的です。「苦しみ」はひそやかに扱われながら、「よろこび」がしだいに広がっていきます。第一部の締めくくりとして、短いレチタティーヴォのあとにコラール楽章が置かれますが、単純な四声部和声にとどまらず、器楽の伴奏付き(部分的には協奏的な趣)の大袈裟なものとなっています。
同じコラール旋律《神のなさることはすべてよし》が、第二部の冒頭に器楽楽章として再び現れます。対位法的に書かれた弦楽四重奏の上に、コラール旋律が一行ずつトランペットで演奏されます。第一部と同じく最初のレチタティーヴォは弦楽伴奏(アッコンパニャート)で、その弦楽がアルト・アリア「イエスはわたしを霊的に豊かにしてくださる」のオブリガート声部として全員奏して(ユニゾン)で絡み合います。第四の、そして最後のアリア(バス)で初めてバッハはトランペットソロ・弦楽器を協奏的に結び合わせます。「わが心は信じ愛す」という書き出しは、勝利への確信として解釈されています。カンタータの結びは第一部末尾の器楽伴奏つきコラールを再び演奏します。テキストのみ異なり、ロディガストのコラール《神のなさることはすべてよし》の最終節が歌われます。
参考文献
ハンス=ヨアヒム・シュルツェ出典:H.-J. Schulze, Die Bach-Kantaten. Einführungen zu sämtlichen Kantaten Johann Sebastian Bachs, Leipzig und Stuttgart 2006 (CV 24.046).















