“Ich hatte viel Bekümmernis” BWV 21

《わが心に憂い多かりき》

用途:追悼式?, Per ogni tempo(あらゆる時のために)
初演:1713年10月8日?、ヴァイマル(改訂再演:通説では1713年12月〔ハレ聖母教会オルガニスト採用試験〕, 1714年6月17日, おそらく1720年 秋〔ハンブルク聖ヤコビ教会オルガニスト採用試験〕, 1723年6月13日)
福音書:ルカ15, 1-10(いなくなった羊、なくなった銀貨の譬(たと)え)
歌詞:S.フランク作(?)。第2曲;詩篇94, 19。第6曲;同42, 12。第9曲;同116, 7 および G. ノイマルクのコラール「尊き御神の統べしらすままにまつろい」(1657)第2,5節(定旋律=BWV434)。第11曲;黙示録 5, 12-13。
編成:STB, 合唱; Tp3, Trb4, Timp, Ob, Vn1, Vn2, Va, Fg, bc.
基本資料:再演時のオリジナル・パート譜(不完全)=SBB
演奏時間:約40分

【出典】
磯山雅・小林義武・鳴海史生 編著『バッハ事典(DAS BACH LEXIKON)』東京書籍、1996年。

🎼 楽譜のリンク

IMSLP : BWV 21

目次(全7曲)

※ 曲名をタップすると、各曲の解説にジャンプすることができます。

1. シンフォニア
“Sinfonia”

2. 合唱(Chorus)
“Ich hatte viel Bekümmernis”

3. アリア(ソプラノ)
“Seufzer, Tränen, Kummer, Not,”

4. レチタティーヴォ(テノール)
“Wie hast du dich, mein Gott,”

5. アリア(テノール)
“Bäche von gesalznen Zähren”

6. 合唱(Chorus)
“Was betrübst du dich, meine Seele,”

Nach der Predigt
7. レチタティーヴォ(ソプラノ・バス)
“Ach Jesu, meine Ruh,”

8. アリア・デュエット(ソプラノ・バス)
“Komm, mein Jesu, und erquicke”

9. 合唱(Chorus)
“Sei nun Wieder zufrieden,”

10. アリア(テノール)
“Erfreue dich, Seele, erfreue dich Herze,”

11. 合唱(Chorus)
“Das Lamm, das erwürget ist, ist würdig zu nehmen Kraft”

全体の解説

カンタータ
《Ich hatte viel Bekümmernis》BWV 21 は、

バッハ協会版全集第5巻第1分冊(1855年)
におけるヴィルヘルム・ルストの刊行以来、

ほぼ一世紀半にわたって音楽愛好家から
揺るぎない評価を受けてきた一方で、

音楽学にとっては多くの問題を
投げかけてきた作品でもあります。


現存するのはベルリン国立図書館
(Staatsbibliothek zu Berlin)
に保管されています。

28点の声楽・器楽パート譜
(カタログ番号 Mus. ms. Bach St 354

であり、総譜(スコア)は現存しません

このパート譜群(完全ではない)は、
少なくとも 3回の上演

─ バッハの
ヴァイマル/ケーテン/ライプツィヒ
各時期にそれぞれ一度 ──

に用いられ、各上演はそれぞれ
固有の事情を伴っていました。

Vorhandene Stimmen(現存 パート譜)

Gruppe 1
(Weimarer Fassung=ヴァイマル版)
S, A, T, BTromba I–III(トランペット1–3)/Oboe (in c)Violine I, II (in c)Viola (in c)Violoncello (in c)Orgel (in c)

Gruppe 2
(Köthener Fassung=ケーテン版)
SVioline I, II (in d)Viola (in d)Fagotto (in d)Violoncello (in d)

Gruppe 3
(Leipziger Fassung=ライプツィヒ版)
T rip(テノール・リピエーノ)/B rip(バス・リピエーノ)/Trombone II, III, IV (in b)(トロンボーン2–4)/Oboe(Dublette, in c)(オーボエ:複写パート、in c)/Basso continuo (in b)

Gruppe 4a
(所属不確か・ヴァイマル時代?)
Oboe (in d)

Gruppe 4b
(Köthener Zeit=ケーテン時代)
A (rip)(アルト・リピエーノ)


ヴァイマルの演奏では、
ソプラノ・ソロは存在せず、

高声部の独唱
(第3〜5曲、第7〜8曲、第10曲)は

すべて テノールに割り当てられました。

調性は ハ短調で、

バッハのヴァイマル・カンタータの
通常慣行(コーアトーン A≒465Hz での演奏)

とは異なり、

オーボエと(おそらく)
ファゴット(ヴァイマルのファゴット譜は散逸)
だけでなく、

弦楽器、さらにはオルガンも
「カンマートーン, A=415Hz」
演奏したと考えられます。


ケーテン時代の上演でも
声楽ソリストは2人だけでした。

しかし、高声部の独唱は
テノール → ソプラノ に変更されています。

ヴァイマルと同じように
「カンマートーン」のセッティングで
演奏されましたが、

その調性はニ短調
(オルガンは コーアトーン,
A≒465Hz のハ短調で演奏)でした。


ライプツィヒでの上演に際して
バッハは、高声の独唱を

ソプラノ(第3・7・8曲)と
テノール(第4・5・10曲)に分けました。

さらに、第6・9・11曲の合唱部分を
ソロ・四重唱 と
トゥッティ(リピエーノ)
に書き分けました。

第9曲に、トロンボーンが追加され、
合唱(リピエーノ)を支える
役目を担いました。

調性は再びハ短調 で書かれ
「カンマートーン」
で演奏されました。

しかし、オルガンとトロンボーンの
パート譜は長2度低く記譜されているため、

コーアトーンのセッティングで
演奏されたと思われます。¹


ニ短調で書かれた
オーボエのパート譜

別に存在することも
重要なポイントです。

まず、記譜にはいくつか
異なる点が見受けられます。

このパート譜は(上記のいずれかの)
特定の上演機会に、

確実に用いられた、
と断言することはできません。

おそらく、ケーテン期の資料
属するのではないかと
考えられています。

しかしながら、
ヴァイマルの資料と
併用された可能性が
あることも確かです

(その場合、弦とオルガンは
コーアトーン = ハ短調 で演奏
したことになります。)。

あるいは、私たちが
他に情報を持たない

別の上演のために
書かれた可能性もあります。


ヴァイマルでの上演は、
パート譜表紙に記された

バッハの注記によって、

1714年・三位一体節後
第3主日(6月17日)であった

ことが分かります。

ケーテン時代の上演は
長らく、バッハがハンブルクで
オルガニスト職を求めて訪れた

1720年秋の旅と
関連づけられてきました。

ハンブルクの音楽家
ヨハン・マッテゾンは、

自ら編集した雑誌
『Critica Musica』(1725年)で

このカンタータにおける
語句反復を批判的に詳述しています。³

このことから、
彼はハンブルクでバッハの指揮
により演奏された機会に

この作品を知った可能性が
高いと考えられます。

アルフレッド・デュルの研究によれば、

ライプツィヒ資料は

バッハがトーマス・カントル就任後
最初の数か月に作成されたもので、

彼は 1723年 三位一体節後第3主日
(6月13日)の上演のためと見ています。⁴


このカンタータの起源は
1714年以前にさかのぼるようです。

アルフレッド・デュルと
ポール・ブレイナードの研究は、

ヴァイマルのパート譜
示された音楽テクストが、

この作品の最初期の構想を
表すものではないことを
明らかにしました。⁵

たとえば第1・2・6曲の
オーボエ・パートには、

ニ短調での上演を
想定した痕跡があります。⁶

また終曲合唱では、
オーボエ・パートが
後から付加されたことを
示す兆候があり、

バッハが既存の楽章を
終曲として転用し、

カンタータ編成に合うよう改作した
ことがうかがえます。

さらにブレイナードは、
テキスト上の理由から

第7〜8曲および第10曲が
別作品からの転用である
可能性を検討しています。

興味深いのは、
ヴァイマルのバス・パート
にある第3〜5曲の

tacet(休み)の指示が、
Soprano solo
(この際のソロは、全て
テノールが担当した。)
という彼の指摘です。

この誤りは明らかに、
パート譜の写譜の際の
ミスであると考えられます。

また、対話(Dialog)の形式で
書かれている第7・8曲において、
「Seele(魂)」が歌う部分は、

伝統に従えば、

本来 ソプラノが担っていた
可能性が高い、とも述べています。


オリジナル・パート譜の

表紙タイトルには

「Per ogni Tempo
(いつでも/あらゆる時のために)」

との注記があります。

これによりバッハは、
この作品に考えうる限り最も広い
典礼的用途を与えたこととなります。

実際、カンタータの歌詞は

教会暦の特定の主日に合わせて
作られたようには見えません。

バッハが上演注記に挙げた
三位一体節後第3主日との関係も弱く、

いわば間接的であるように思えます。

いわゆるバッハのカンタータは
主日礼拝の説教と同様に、

その日の福音書
(当該主日ではルカ15章1〜10節、
失われた羊・失われた銀貨のたとえ)

を中心題材としていますが、

本作の場合、内容上結び付くのは
主日の書簡朗読(ペトロ5章6〜11節)

に限られています。

具体的には、

・テキスト第7節
「あなたがたの思い煩いをすべて神に委ねよ。
神があなたがたを顧みてくださるからだ」

カンタータ第9曲
「重い思い煩いが、
私たちに何の助けとなろう…」

・第11節「永遠から永遠まで、栄
光と力が神にあるように。アーメン」

第11曲「賛美と栄光と誉れと力…」

が対応しています。

はたして当時の慣行に照らして、
この程度の関連だけで

三位一体節後第3主日の
主日礼拝での上演を
正当化できたのか、

それとも1714年のその日には、
特別な事情

─たとえば説教者との相談─

が作品選択や、

場合によっては歌詞と楽章構成の
決定に大きく作用したのか、

疑問が残ります。

実際、1714年6月の
ヴァイマルには、そのような
特別の契機があった
可能性があります。

ラインホルト・ヤウアーニヒが
1954年に示したように、

当時のヴァイマル宮廷は、
重い病にある若き

ザクセン=ヴァイマル公
ヨハン・エルンスト(1696–1715)の

「苦痛に満ちた病(Schmerzhafte Maladie)」
の軽減を期待して、

バート・シュヴァルバッハでの
湯治のため7月4日に旅立ち、

結局帰還しなかった
─ その別れが迫る状況に
覆われていたことは事実です。⁷

このカンタータの慰めに
満ちたメッセージは、

まさにその息苦しい状況を
代弁するものとなり得たと思われます。


すでに19世紀には、
この並外れた作品が

何らかの特別な機会に
由来するのではないか、

と推測されていました。

フリードリヒ・クリュザンダーは、
このカンタータを、

1713年アドヴェント期に

バッハが
ハレの聖母教会(Liebfrauenkirche)
のオルガニスト職に応募した際に、

試験作品として演奏したものだ
と見なそうとしました。⁸

クリュザンダーの見解は
十分な根拠づけがないものの、

デュルやブレイナードも
可能性としては検討していました。

しかし近年マルティン・ペツォルトは、

1713年12月の上演は

「時節上(de tempore)の理由から
まったく不可能」に見える、

なぜならテキストが

「神学的にまったくアドヴェント
の時期に属さない」からだ、

と反論しました。⁹

同時にペツォルトは、

別の成立契機の可能性
にも注意を促しています。

それによれば、
このカンタータの原初形態は、

1713年9月24日に
ヴァイマルで48歳で没し、

3日後に葬られた
アエミーリア・マリア・ハーレス
(Aemilia Maria Harreß)

─ 委員ヨハン・ハーレスの
未亡人で、影響力の大きい

シュヴァルツブルク侯国宰相
アハスヴェルス・フリッチュ
(1629–1701)の娘 ─

のための葬送音楽であった
可能性があるというのです。

1713年10月8日、
ヴァイマル市教会では
故人の追悼説教が行われました。

葬送音楽が演奏された
という情報は一切ないのですが、

ヴァイマル総監督長
ヨハン・ゲオルク・ライリッツ
の印刷された説教文は、

バッハのカンタータ本文と
驚くほど密接な関連を示しています。

説教の主題聖句は
詩篇94篇19節「わたしの心には
多くの憂いがあった…」であり、

これは第2曲がテキスト上
このカンタータを開始する
聖句そのものであります。

さらに説教の重要箇所では、
カンタータで続く
二つの合唱の基盤となる聖句

─ 詩篇42篇 12節
「なぜうなだれるのか、
わが魂よ…」(第6曲)

と、

詩篇116篇 7節
「今こそ憩え、わが魂よ…」
(第9曲)─

も引用されています。

神学的観点からは、
説教文と付録として

印刷された随伴テキストから、
第3〜5曲とも
密接な関係が導かれるため、

これらも仮説上の葬送音楽に
属していた可能性があります。

一方で、第7・8・10曲の
残りの独唱楽章と、

黙示録5章12〜13節
「ほふられた小羊」(第11曲)

にもとづく終曲合唱は、
上記とのは全く関連していません。


このカンタータの自由詩の歌詞
(マドリガル的なテクスト)は、

これまで多くの場合
ヴァイマル宮廷詩人

ザロモ・フランク
帰されてきました。¹⁰

しかしカンタータの成立が
確定しないかぎり、

これは推測にとどまります。

第9曲で一般的な旋律を
カントゥス・フィルムスとして
歌われる二つの歌詞節は、

ゲオルク・ノイマルク
(1621–1681)による教会歌曲

「Wer nur den lieben Gott lässt walten
(ただ愛なる神の導きに委ねる者は)」
(EG 369)

に由来します。


制作ノート

2026年3月14・15日の
弊団の公演のタイトルは
「ヴァイマルのカンタータ②」です。

タイトルと上記の情報を踏まえて、
今回はカンマートーン A=415Hz
にて本曲を演奏いたします。

筆者も全パートを
実際に歌ってみましたが、

カンマートーンでの歌唱が
喉への負担が最も少なく、

余裕のある音楽作りが
可能であると確信します。

コーアトーンでの歌唱は、
その音の高さ故に、
細部の音楽的な表現が
難しくなると感じました。

金管楽器にも同様のことが
当てはまるのではないかと
想像します。

また、
ライプツィヒで演奏する際に
加えられたとされる

トロンボーン(サックバット)
については、

本公演の編成には加えずに
演奏いたします。

別な機会にライプツィヒ版として
演奏する際の楽しみとして、
取っておきたいと思います。

また、
バッソ・コンティヌオは、
いわゆる16フィートのコントラバス
ではなく、

8フィートのヴィオローネ
で演奏しますが、
これは正しいと思っています。

16フィートの楽器では、
最低音Cがないため

何処かで音をオクターヴ
上げるしかありません。

8フィートのヴィオローネ
を用いることで、

そういった「苦肉の策」を
用いずに済みます。

そして、
バスラインのサウンドが
驚くほどにすっきりとした印象で、
個人的にはとても好みです。

チェロ、ファゴット、
オルガンと「混ざり合った音」も
魅力的です。

ソロ・アンサンブルと
トゥッティ・アンサンブル
(リピエーノ)

が書き加えられたのは、
ライプツィヒ資料とされていますが、

大変効果的であるため、
本公演でも採用します。

第9曲の合唱曲の定旋律を、
オーボエ+スライド・トランペット
での補強の可能性があることを
付け加えておきます。

2026年1月22日
圓谷 俊貴


注釈

1, 追加的に、ヴァイマルのハ短調オルガン譜がチェンバロ・パートとして用いられた可能性もある

2, Philipp Spitta, Johann Sebastian Bach, Bd. I, Leipzig 1873, S. 529.

3, 参照:Martin Petzoldt, 「重い不安の重荷のもとでの力強い活力回復──BWV21成立に関する新知見の可能性」, Bach-Jahrbuch 1993, S. 31–46.

4, Alfred Dürr, Zur Chronologie der Leipziger Vokalwerke J. S. Bachs. 第2版(注・補遺付、Bach-Jahrbuch 1957所収の増補再録), Kassel 1976, とくに S. 41, 58.

5, 文献:批判報告(Krit. Bericht)参照;さらに Paul Brainard, “Cantata 21 Revisited”, Studies in Renaissance and Baroque Music in Honor of Arthur Mendel, Kassel/Hackensack 1974, S. 231–242.

6, 第2曲の26小節で、バッハ時代のオーボエには存在しない音(des’ と b)が要求されるが、上記のニ短調オーボエ譜(第28パート)ではその箇所が演奏可能である。第6曲では58小節(第3主題内)に一時的な低オクターヴ化があり、ニ短調では技術的に難しい最高音 d’’’ を回避するためだが、ハ短調では不要である。ニ短調オーボエ譜にはシンフォニアの13–14小節(付録の移調掲載参照)に古い読みが含まれ、14小節で音 es’ に触れる(注8参照)。ハ短調では(本版の印刷のように)des’ となるが、この音は当時の楽器では演奏不能であり、そのためバッハは調性変更に伴い当該箇所全体を書き換えた。

7, Reinhold Jauernig, 「カンタータ《Ich hatte viel Bekümmernis》(BWV21)について」, Bach-Jahrbuch 1954, S. 46–49.

8, Friedrich Chrysander, Georg Friedrich Händel, Bd. I, Leipzig 1858, S. 22.

9, 同前(a.a.O.)S. 35。あわせて Peter Wollny, 「ハレのマリエン教会オルガニスト職応募とその文脈」, Bach-Jahrbuch 1994, S. 25–39。限定的見解として Alfred Dürr, 「J.S.バッハの1713年ハレ試験作品について」, Bach-Jahrbuch 1995, S. 183f.

10, カンタータ詩作と作者問題について:Helene Werthemann, 「バッハ・カンタータ21《Ich hatte viel Bekümmernis in meinem Herzen》のテキストについて」, Bach-Jahrbuch 1965, S. 135–143.


▲ 目次に戻る

1. シンフォニア
“Sinfonia”

楽曲の解説

まずは、
調号に注目してみましょう。

フラットが2つ
(機能和声でいうところのト短調)
で記譜されていますが、

実際に演奏される調はハ短調です。

これは、当時、
まだ教会旋法と機能和声が混在していた
ことの証明であり、

短調をドリア旋法で記譜する
という慣習に従ったものです。

ドリア旋法
(Finalis:レ, Tenor:ラ)は、

機能和声でいう自然短音階に
近い響きですが、

第6音が高いのが大きく異なる点です。

6度音と7度音(導音)
可変することにより生まれる

独特の和声の香りが、
とても美しいと感じます。


この楽曲のコンセプトは
トリオソナタ形式であると思われます。

つまり、

オーボエ・ヴァイオリンⅠ
コンティヌオ(通奏低音)

がそれに該当し、

ヴァイオリンⅡ・ヴィオラは、

それぞれの独立した旋律としての
美しさはあるものの、

主には和声を拡充する役目
を担っているように思えるからです。


ヴァイオリンⅠとオーボエの
各フレーズの始まりでは

「嘆き」が表現されます。

先に始まるロングトーンの旋律に、

2度の音程をわざと当てて
不協和音を作ります。

その緊張感のある音の重なりは、
現世への詠嘆であると思われます。

その後、
両者は各音形を真似する
対話のような掛け合いを続け、

時にはアンサンブル(3度や6度)
をしながら音楽を展開します。


8分音符が続く
グラウンドなバスラインは、
ゆっくりと時を刻みます。


13小節から17小節の
3拍目までは、

完全終止のない
長いフレーズとなります。

ナポリの6和音から、
ドッペルドミナントの9の和音
へと連結し、

緊張の減和音でフェルマーレします。

完全終止を避けて、
再び減和音のフェルマータとなる
16小節1拍目の部分は、

Parrhesia 突然の不協和音 です。

なかなか解決しないフレーズは、
17小節の3拍目でようやく終止します。


19小節の4拍目では、
フレーズが途切れる

abruptio 突然の中断 で、

一気に緊張感を高め、
クライマックスを演出します。

Saltus duriusculus 不協和音程による跳躍
のアフェクトも同居します。

そのまま、カデンツで曲が閉じられます。


▲ 目次に戻る

2. 合唱(Chorus)
“Ich hatte viel Bekümmernis”

歌詞

Ich hatte viel Bekümmernis in meinem Herzen;
aber deine Tröstungen erquicken meine Seele.
(Psalm 94:19)

「心の内に思い煩いが増すとき、
あなたの慰めが私の魂を生き返らせる。」
(詩篇 94:19)


詩篇94篇について
1) 冒頭:裁きを求める叫び(1–2節)

詩人は、悪人に報いを与えてほしい、と神に願います。

2) 社会の現実:悪者の横暴(3–7節)

悪者は誇って語り、弱い立場の人々を踏みにじります。
具体的には、やもめ・寄留者・みなしごが被害者として描かれます。
しかも彼らは「主は見ていない」と言い、神の正義そのものを否定します。

3) 反論:神は必ず見ている(8–11節)

ここで詩人は悪者に向かって言い返します。

耳を造った神が、聞かないはずがない
目を造った神が、見ないはずがない

つまり「神は沈黙しているように見えても、無関心ではない」という宣言です。

4) 転調:苦難の中で教えられる者の幸い(12–15節)

詩はここで少し落ち着き、
神の教え(律法)によって鍛えられる者の幸いを語ります。

不正が続いても、結末は不正の勝利ではない。
「主はご自分の民を見捨てない」という約束が中心になります。

5) 個人の証し:崩れそうな心が支えられる(16–19節)

ここで視点が「社会全体」から「私の内面」に移ります。
詩人は、

「私に味方してくれる者はいるのか」
「主が助けてくださらなければ私は沈黙(死)に落ちていた」
「足がすべると思った」

と告白します。

そして核心が94:19です。
「心に思い煩いが増えるとき、あなたの慰めが魂を生き返らせる。」

外の不正が、内なる不安へと入り込みますが、
神の慰めが、その内面を立て直します。

6) 結末:不正の座は神と両立しない(20–23節)

最後に詩人は確信に到達します。

不法を制度化する権力(制度・多数による暴力)は神と結びつかず、
神は、最後の砦となり、
悪は最終的に自分の悪によって裁かれる、と確信します。

神が誰であるか、どんな存在なのかを言い直すことで、
自らの立ち位置を取り戻します。

神の主権(最終判断は人間でなく神にある)を確認が最終の場面です。


楽曲の分析

冒頭で、3度の
「ich 私は」が全員で歌われます。

Epizeuxis 動機の即座の強調的な反復

「3」というキリスト教において
重要な数字については、

「1日3回祈る」という
ダニエル 6:10

詩篇 55:17
神を「父・子・聖霊の三位一体」
として告白

聖なる、聖なる、聖なる
(イザヤ6:3、黙示録4:8)

「キリストが三日目に復活した」
(1コリント15:4)

など、重要な節目として
繰り返し現れます。


2小節目からは、
対位法的なセクションとなります。

グラウンドなバスの上で
合唱4声がテーマを歌いますが、

ここでも、
2度音程の重なり(シンフォニアと同じ)
が度々登場し、

不協和音による「痛みや嘆き」
が表現されます。

不協和音ではありますが、

音のぶつかりの持つ
「響きの美しさ」が同居する
ことも言及しておきます。

オーボエと弦楽器は、

主にカデンツの部分のみ
演奏に参加します。


約36小節もの長いフーガを経て、

皆の声が揃うが如く、
noema フーガの中の和声的な部分

となり、

「aber しかし」を歌います。


ここから Vivace となり、

deine Tröstungen erquicken meine Seele.
あなたの慰めが私の魂を生き返らせる。

をイキイキと歌い上げます。
「erquicken 元気づける」
を体現しています。

「Seele 魂」の長大な
メリスマも印象的です。

しかしながら、
ここでの「Tröstungen 慰め」は
予告の域を出ません。


最後の4小節半は Andante となり、

これまでの高揚した気持ちが
少し落ち着き

冷静さを取り戻して
曲が閉じられます。


▲ 目次に戻る

3. アリア(ソプラノ)
“Seufzer, Tränen, Kummer, Not,”


歌詞

Seufzer, Tränen, Kummer, Not,
Ängstlichs Sehnen, Furcht und Tod
Nagen mein beklemmtes Herz,
Ich empfinde Jammer, Schmerz.

ため息、涙、憂いと苦しみ、
不安な(怯えた)切望、恐れ、そして死が
締めつけられた私の心を蝕む。
私は悲嘆と痛みを覚える。

楽曲の分析

曲全体を通して

suspiratio 嘆息 のアフェクトが
多く書かれています。

2度(半音進行を含む)の
下降と上行がそれに当たります。


12/8 の拍子と
Molt’adagio の速度記号は、

kyklosis
円を描くような動き、その場に留まる感じ

を体現します。


オーボエの前奏と
後奏の最終音は、

通常であれば、
オクターヴ上の「C」
であると思われますが、

ここでは

hyperbaton 特別に低い音
(オーボエの最低音)

のフィグールが使われており、

長7度下降の跳躍進行となっています。


▲ 目次に戻る

4. レチタティーヴォ(テノール)
“Wie hast du dich, mein Gott,”


歌詞

Wie hast du dich, mein Gott,
In meiner Not,
In meiner Furcht und Zagen

Denn ganz von mir gewandt?
Ach! kennst du nicht dein Kind?
Ach! hörst du nicht das Klagen
Von denen, die dir sind
Mit Bund und Treu verwandt?

Da warest meine Lust
Und bist mir grausam worden;
Ich suche dich an allen Orten,
Ich ruf und schrei dir nach,
Allein mein Weh und Ach!
Scheint itzt, als sei es dir ganz unbewußt.

わが神よ、あなたは
この苦難の中で、
この恐れとおののきの中で、
私からすっかり背を向けてしまわれたのですか。

ああ、あなたはご自分の子を知られないのですか。
ああ、あなたのものとされ、
契約と真実によって
あなたに結ばれている者たちの嘆きを、
お聞きにならないのですか。

かつてあなたは私の喜びでした。
それなのに今は、私に厳しくなられました。
私はあらゆる場所であなたを探し、
あなたを呼び、叫び求めます。
けれどこの「わざわいだ、ああ」という私の嘆きは、
今や、あなたにはまるでまったく気づかれていないかのようです。

楽曲の分析

テノールが心の苦しみを
独白 Confession します。

弦楽器が伴奏する
accompagnato の形式です。

「ach! ああ」などの詠嘆は
減七の和音 と共に歌われ、
emphasis 強調 されます。


最後の2小節では、
フリギア終止と
増6の和音(ドイツの6の和音)
を組み合わせた、

新時代への意欲的な
和声法も印象的です。


▲ 目次に戻る

5. アリア(テノール)
“Bäche von gesalznen Zähren”


歌詞

Bäche von gesalznen Zähren,
Fluten rauschen stets einher.
  Sturm und Wellen mich versehren,
  Und dies trübsalsvolle Meer
  Will mir Geist und Leben schwächen,
  Mast und Anker wollen brechen,
  Hier versink ich in den Grund,
  Dort seh ins der Hölle Schlund.

塩からい涙の流れが川となり、
濁流は絶えず轟いて押し寄せる。
 嵐と波は私を痛めつけ、
 この悲しみに満ちた海は
 私の気力と命を弱らせ、
 帆柱と錨を砕こうとする。
 ここでは私は深みへ沈み、
 あちらでは地獄の口をのぞき込む。

楽曲の分析

前曲で吐露された
心の苦しみは、

「涙の川の流れ」
となって溢れ出ます。

スラーのついた
2度下降するモチーフが繰り返され、

Pathopoeia 半音進行によって
情熱的な情感を喚起しようとする楽句

のアフェクトが色濃く現れます。


「Sturm und Wellen mich versehren,
嵐と波は私を痛めつけ、」

の場面では allegro になり、
音楽は激昂します。

「versehren 傷つける」は

32分音符を伴う
厳しいメリスマで歌われます。


次のセクションでは、
再び adagio に戻ります。

「Will mir Geist und Leben schwächen,
私の気力と命を弱らせ、」

の歌詞を歌う場面では、

フラット(♭)が
増えること =「気力と命が弱る」

という法則(inventio 発想)があるように
思えてなりません。

主な調性は
b-moll(♭が5つの調、変ロ短調)です。

「schwächen 弱らせる」
を歌う部分では、

一瞬ではありますが、
「C, ド」の音までフラットになる

es-moll(変ホ短調, 4度調)
にまで到達します。


▲ 目次に戻る

6. 合唱(Chorus)
“Was betrübst du dich, meine Seele,”

歌詞

Was betrübst du dich, meine Seele,
und bist so unruhig in mir?
Harre auf Gott;
denn ich werde ihm noch danken,
daß er meines Angesichtes Hülfe und mein Gott ist.
(Psalm 42:12)

わが魂よ、なぜおまえはうなだれるのか。
なぜ私のうちで、こんなにも騒ぎ立つのか。
神を待ち望め。
私はなおも神に感謝するだろう。
神こそ、私の顔を上げさせる助け、わが神だから。


詩篇42
1) はじまりは「渇き」

冒頭は有名な比喩です。
鹿が水を求めるように、詩人は「生ける神」を切望し、「いつ神の御前に出られるのか」と問います。
つまり出発点は、罪責というより神不在感への渇きです。

2) 涙と嘲りの中で、礼拝の記憶をたどる

続いて、涙が「昼も夜も食べ物」であり、
人々から「あなたの神はどこにいる」と嘲られる現実が語られます。

その痛みの中で詩人は、かつて群衆とともに神の家へ進み、
祭りの喜びの声を上げた記憶を思い起こします。

3) 自分の魂への呼びかけ(第1リフレイン)

そこで詩人は自分に語りかけます。
「なぜうなだれるのか。神を待ち望め。なお神をほめたたえる日が来る」。

詩篇42の核は、
この自己への説教です。
(感情を否定せず、希望へ向きを変える)

4) 第二波:遠地からの祈りと“深み”のイメージ

後半では「ヨルダン・ヘルモン・ミツァル」から神を思い起こすと語られ、
詩人がエルサレムから遠くにいる状況が示唆されます。

「深みが深みに呼びかける」
「あなたの波が私を越えていく」という表現で、

圧倒される内面が描かれますが、

同時に「昼は主の慈しみ、夜は祈り」と、
祈りが途切れていないことも語られます。

5) 再び嘆き、しかし同じ信仰告白へ(第2リフレイン)

「なぜ私を忘れたのか」という訴え、
敵の嘲り(再び“あなたの神はどこに”)が繰り返されます。

それでも詩篇は同じリフレインで閉じます。
外的状況はまだ解決していないのに、希望の再表明をします。

詩篇42は、揺れながら神に向き直し続ける 祈りの物語です。


楽曲の分析

曲全体を細かく分ければ、
4つのセクションに分類することはできますが、

私は、プレリュードとフーガ の形式、
という表現がしっくりくるように思います。

さらには、solo と tutti という
ライプツィヒでの再演の際に追加された指示は、
協奏曲風の発想から来ているものと思います。


プレリュードのセクションでは

「慰め」を求めて
神に呼びかける solo に始まり、
tutti となると、その声は大きくなります。

spirituoso – adagio のセクションを経て、
さらに、力強くなり、
音楽は高揚していきます。

プレリュード全体を通じて

Anabasis 上行する、
または高揚した情景、情感を表現する上行的楽句

のアフェクトに設計されています。


後半のフーガも、
solo → tutti の協奏曲風の構造となっています。

外的なものに左右されない意志の強さを感じるテーマは、
力強いものです。


その高揚感は adagio で頂点に達します。

この部分は Noema 対位法的な中の和声的な部分
のアフェクトでもあります。


▲ 目次に戻る

Nach der Predigt
7. レチタティーヴォ(ソプラノ・バス)
“Ach Jesu, meine Ruh,”

歌詞

Ach Jesu, meine Ruh,
Mein Licht, wo bleibest du?
  – O Seele sieh! Ich bin bei dir. –
Bei mir?
Hier ist ja lauter Nacht.
  – Ich bin dein treuer Freund,
Der auch im Dunkeln wacht,
Wo lauter Schalken seind. –

Brich doch mit deinem Glanz und Licht des Trostes ein.
  – Die Stunde kömmet schon,
Da deines Kampfes Kron’
Dir wird ein süßes Labsal sein. –

ああイエスよ、わが安らぎ、
わが光よ、どこにおられるのですか。
 ― おお魂よ、見よ。わたしはあなたと共にいる。 ―
私と共に?
ここにはただ、闇ばかりです。
 ― わたしはあなたの真実な友。
   闇の中でも見守っている。
   邪悪な者どもが満ちるところでも。 ―

どうか、あなたの輝きと慰めの光で、ここへ差し込んでください。
 ― その時はすでに近い。
   あなたの戦いの冠が、
   あなたに甘美な慰めとなる時が。 ―


楽曲の分析

器楽の伴奏を伴う、
魂とイエスによる
対話のレチタティーヴォです。

調性が、前半のハ短調の
平行調である
変ホ長調へと変わります。

安心・迷いなくイエスを慕う心情が
表現されていると考えます。


ソプラノ(魂)は、
イエスを慕いながらも

問いかけによって、
自分の判断が間違っていないことを確かめようとします。

interrogatio 疑問文末の上昇のイントネーション
が使われています。


それに対してバス(イエス)は、
落ち着いた声で「側にいる」と応えます。

「sieh! 見よ!」
「wacht, 見張って(看護して)いる」
などの語は、

正常の位置に置かない跳躍進行、

Hyperbaton 音符や楽句をその通常の位置から別の位置へ移動すること
のフィグーレで書かれています。

9小節、13小節の後半から最後にかけての部分は、
Arioso として演奏されるべきと考えます。


8. アリア・デュエット(ソプラノ・バス)
“Komm, mein Jesu, und erquicke”

歌詞

Komm, mein Jesu, und erquicke,
  – Ja, ich komme und erquicke –
Und erfreu mit deinem Blicke.
 – Dich mit meinem Gnadenblicke. –
Diese Seele,
  – Deine Seele, –
Die soll sterben
  – Die soll leben, –
Und nicht leben
  – Und nicht sterben –
Und in ihrer Unglückshöhle
  – Hier aus dieser Wundenhöhle –
Ganz verderben?
  – Sollst du erben –
Ich muß stets in Kummer schweben,
  – Heil! durch diesen Saft der Reben, –
Ja, ach ja, ich bin verloren!
  – Nein, ach nein, du bist erkoren! –
Nein, ach nein, du hassest mich!
  – Ja, ach ja, ich liebe dich! –
Ach, Jesu, durchsüße mir Seele und Herze!
  – Entweichet, ihr Sorgen, verschwinde, du Schmerze! –

来てください、わがイエス、そして私を力づけてください。
 — そう、私は来て、あなたを力づける。ー
あなたのまなざしで、私を喜ばせてください。
 — 私の恵みのまなざしで、あなたを喜ばせよう。ー
この魂は、
 — あなたの魂は、ー
死ぬのでしょうか、
 — 生きる。ー
生きることもできず、
 — 死ぬこともない。ー
その不幸の洞穴で、
 — この傷の洞穴から、ー
まったく滅びるのでしょうか。
 — あなたは受け継ぐのだ。ー
私は絶えず悲しみの中を漂わねばならない。
 — 救いを! このぶどうの汁によって。ー
ああ、そうです、私は失われた者です!
 — いや、違う、あなたは選ばれた者だ!ー
いいえ、違う、あなたは私を憎んでおられる!
 — そうだ、そうだ、私はあなたを愛している!ー
ああイエスよ、私の魂と心を甘く満たしてください!
 — 退け、憂いよ、消え去れ、痛みよ!ー


楽曲の分析

磯山 雅 先生はこのデュエットを
「一種官能的な愛の二重唱。イタリア・オペラの一場面を思わせる」
* 磯山雅・小林義武・鳴海史生 編著『バッハ事典(DAS BACH LEXIKON)』東京書籍、1996年。

と綴っています。

軽やかなバスラインに乗って、
ソプラノ(魂)とバス(イエス)が

交互に歌いますが、
polyptoton 同じ旋律が位置を変えて繰り返される
の書法が用いられています。

「ja」「nein」の言葉遊びもチャーミングに響きます。


37小節からは
3/8 拍子となりますが、

これは定量記譜法のメンスーラでいうところの
トリプラ、というよりは

プロポルツィオ・セスクィアルテラに近い
→ 噛み砕いていえば、少しゆったりとした 3拍子の意。
と思っています。

その選択の方が、
「durchsüße mir Seele und Herze! 私の魂と心を甘く満たしてください!」
の歌詞に適していると感じるからです。


74小節から、
再び 4/4 拍子に戻ります。

Complexio, Epanalepsis 冒頭の楽句を末尾で繰り返す
のアフェクトによる楽曲構造を取り、終止します。


9. 合唱(Chorus)
“Sei nun Wieder zufrieden,”

歌詞

Sei nun wieder zufrieden,
meine Seele, denn der Herr tut dir Guts.
(Psalm 116:7)

Was helfen uns die schweren Sorgen,
Was hilft uns unser Weh und Ach?
Was hilft es, daß wir alle Morgen
Beseufzen unser Ungemach?
Wir machen unser Kreuz und Leid
Nur größer durch die Traurigkeit.

Denk nicht in deiner Drangsalshitze,
Daß du von Gott verlassen seist,
Und daß Gott der im Schoße sitze,
Der sich mit stetem Glücke speist.
Die folgend Zeit verändert viel
Und setzet jeglichem sein Ziel.
(“Wer nur den lieben Gott läßt walten,” verse 5)

今ふたたび安らげ、わが魂よ。
主はあなたに良くしてくださった。
(詩篇116:7)

重い思い煩いが、私たちに何の益をもたらすのか。
私たちの嘆きとため息に、何の助けがあるのか。
毎朝、私たちが自分の不幸を嘆いたところで、
それが何になるというのか。
私たちは悲しみによって、
自分の十字架と苦しみを、ただいっそう大きくするだけだ。

苦悩の熱の中で、
自分は神に見捨てられたのだ、と思ってはならない。
また、神は絶えず幸いを食む者だけを
懐に抱くのだ、と思ってはならない。
この先の時は多くを変え、
それぞれに、その定めを与えるのだから。


詩篇116
1) 愛の告白から始まる

冒頭で詩人は「私は主を愛する」と言います。
主が祈りを聞いてくださったからです(1–2節)。

2) どん底の危機

次に一気に暗くなり、
死の縄・陰府の苦しみ・苦難と悲しみに捕らえられた状態が語られます(3節)。
そこで詩人は「主よ、私のいのちを救ってください」と叫びます(4節)。

3) 救出の体験と、魂への呼びかけ

主は恵み深く、苦しむ者を守ってくださる
――その体験告白が続きます(5–6節)。

そして「わが魂よ、再び安らげ」(7節)へ。

続いて「死・涙・つまずき」からの解放(8節)と、
「生ける者の地で主の御前を歩む」(9節)へ進みます。

4) 信仰のリアルな揺れ

10–11節では、救われた後も人間的動揺が残ります。
「私は苦しんだ」「人はみな偽りだ」といった吐露があり、
詩篇は “きれいごと” で終わりません。

5) 感謝を「公に」ささげる結末

後半は「何を主にお返ししようか」という問い(12節)から、
救いの杯を上げる(13節)、誓願を果たす(14,18節)、

そしてそれを主の家の庭(エルサレム)で、
民の前で行う(19節)という、
礼拝共同体へと辿り着きます。


楽曲の分析

聖句の歌詞は、
ポリフォニックな書法の
合唱によって語られます。

そこに、コラールを組み込んだ
形の楽曲となっており

この一曲でコラール・カンタータの
冒頭合唱1つに相応する

作品レベルであると思います。

前半の合唱部分は
ソロのサンサンブルで歌われ、

後半からリピエーノ・器楽は
colla parte で tutti となります。

ここでも、協奏曲風の仕掛け
が施されています。

・シンフォニアでのナポリの6和音の書法
・2曲目(合唱曲)のヴィヴァルディ風のテーマとも取れるモチーフ
・協奏曲風な仕掛け

などの筆跡を見ると、

イタリアの様式を積極的に取り入れた
カンタータと言えるかもしれません。

定旋律(コラール旋律)は、
solo の部分では Tenor に置かれ、
Tutti からは、Soprano が担当します。


10. アリア(テノール)
“Erfreue dich, Seele, erfreue dich Herze,”

歌詞

Erfreue dich, Seele, erfreue dich, Herze,
Entweiche nun, Kummer, verschwinde, du Schmerze!
Verwandle dich, Weinen, in lauteren Wein,
Es wird nun mein Ächzen ein Jauchzen mir sein!
Es brennet und flammet die reineste Kerze
Der Liebe, des Trostes in Seele und Brust,
Weil Jesus mich tröstet mit himmlischer Lust.

喜べ、わが魂よ、喜べ、わが心よ。
去れ、もはや憂いよ、消え失せよ、痛みよ。
涙よ、澄みきったぶどう酒へと変われ。
私の嘆きは、いまや歓喜の声となる。
燃え立ち、ほとばしるのは、最も清らかなろうそく――
愛と慰めの炎が、わが魂と胸に。
イエスが天の喜びをもって私を慰めてくださるゆえに。


楽曲の分析

3/8 拍子の circulatio 円を描くよう
なバスは喜ばしい足取りです。

テノールの旋律からも、
ようやく枷が外れて、

自由に飛び跳ねるような
軽さと明るさを感じます。


Bパートの「Weinen 涙」の
セクションのモチーフは、

第5曲のテノールアリアからの
引用であると思われます。

「涙の川の流れ」→
「澄んだぶどう酒の流れ」

へと変化します。


この特徴的なバスの跳ね上がる
喜びのような音型は、

Epizeuxis 動機の即座の反復
が特徴的です。


11. 合唱(Chorus)
“Das Lamm, das erwürget ist, ist würdig zu nehmen Kraft”

歌詞

Das Lamm, das erwürget ist,
ist würdig zu nehmen Kraft und Reichtum und Weisheit und Stärke und Ehre und Preis und Lob.
Lob und Ehre und Preis und Gewalt sei unserm Gott von Ewigkeit zu Ewigkeit.

Amen, Alleluja!
(Rev. 5:12-13)

ほふられた小羊は、
力と富と知恵と強さと誉れと栄光と賛美とを受けるにふさわしい。
賛美と誉れと栄光と権能が、
永遠から永遠まで、わたしたちの神にありますように。
アーメン、ハレルヤ!


黙示録 5:12–13
1) 舞台:天上の御座

まず4章で、神が御座に着いておられる
天上礼拝の場面が描かれます(「聖なる、聖なる、聖なる…」)。
5章はこの場面の続きです。

2) 危機:巻物を開ける者がいない

5章冒頭、神の右手に七つの封印のある巻物があり、
だれも開けないため、ヨハネは激しく泣きます。
ここが緊張の頂点です。

3) 転換:Lion と聞いて、Lamb を見る

長老は「ユダ族の獅子が勝利した」と告げますが、
ヨハネが実際に見るのは「屠られたような小羊」です。

その小羊が巻物を受け取ります。
(「勝利」は暴力的支配ではなく、犠牲を通る勝利として示される、という解釈がここで強調されます。)

4) 賛美が“3段階”で広がる(5章の山場)

5章後半は、賛美が同心円状に広がります。

長老たちの新しい歌(5:8–10)
無数の天使の賛歌(5:11–12)
そして5:13で、天・地・地の下・海のすべての被造物へ拡大

5:12–13は、
「小羊にふさわしさが宣言される」→「全被造物の普遍的礼拝」へ到達する頂点です。

5) 終止と次章への接続

5:14で「アーメン」と礼拝で閉じ、
その直後の6章で小羊が封印を開き始め、
歴史の展開(審判のビジョン)が動き出します。


楽曲の分析

ここで3本のトランペットと
ティンパニが加わり、

壮大な賛美のフィナーレとなります。

ホモフォニックに書かれた
合唱による Grave は、

「荘厳な響き」というにふさわしい、
スケールの大きな音楽です。


12小節から Allegro の
セクションとなります。

協奏曲風な構成で、

最初は solo による
4声のフーガから始まります。

「Alleluja アレルヤ」の
対旋律も華やかです。

16分音符による技巧的な
メリスマが音楽を煌めかせます。

Circulo, Groppo のアフェクト
で構成されています。

そこに、器楽、Tutti と
他のメンバーが加わり、

pathopoiia 非常に情熱的に響く部分
となった音楽は、

喜びに満ちたままに、終止します。

最終小節の器楽は、
とても特徴的です。

Epizeuxis 動機の即座の反復
で強調されるのです。


のちに作曲される、

G.F.ヘンデル オラトリオ
「メサイア(Messiah, HWV 56)」

第3部の終盤を飾る合唱曲
「Worthy is the Lamb that was slain 子羊にこそふさわしい」

の楽曲構造が、この最終曲に似ている点
についても言及しておきます。


2026年2月17日(火)
この記事は 圓谷俊貴 によって執筆されました。

3.5 2 votes
Article Rating
Subscribe
Notify of
guest
0 Comments
Oldest
Newest Most Voted
Inline Feedbacks
View all comments
0
Would love your thoughts, please comment.x
()
x