《泣き、嘆き、憂い、怯え》
用途:復活祭後第3日曜日
初演:1714年4月22日、ヴァイマル(再演〔ト短調〕:1724年4月30日)
福音書:ヨハネ16, 16-23(イエスの別れの言葉;汝らの憂いは喜びに変わる)
歌詞:S.フランク作(?)。第3曲;使徒行伝14, 22。第7曲;S.ローディガストのコラール「神なしたもう御業こそいと善けれ」(1674)第6節(定旋律=BWV250)。
編成:ATB, 合唱; Tp, Ob, Vn1, Vn2, Va1, Va2, Fg, bc.
基本資料:自筆総譜=SBB, オリジナル・パート譜=SBB
演奏時間:約24分
【出典】
磯山雅・小林義武・鳴海史生 編著『バッハ事典(DAS BACH LEXIKON)』東京書籍、1996年。
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IMSLP : BWV 12
目次(全7曲)
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2. 合唱
“Weinen, Klagen, Sorgen, Zagen”
3. レチタティーヴォ(アルト)
“Wir müssen durch viel Trübsal,”
4. アリア(アルト)
“Kreuz und Kronen sind verbunden,”
5. アリア(バス)
“Ich folge Christo nach,”
全体の解説
1714年3月2日、ヨハン・ゼバスティアン・バッハは、
それまでヴァイマルのヴィルヘルム・エルンスト公の宮廷で
室内楽奏者兼オルガニストとして働いていましたが、
コンツェルトマイスター(楽長)に昇進し、
病身の宮廷楽長ヨハン・ザムエル・ドレーゼの負担を軽くするため、
教会のために「毎月新作を作曲し上演する」任務を与えられました。
棕櫚の主日のためのカンタータ
《Himmelskönig, sei willkommen》BWV 182 に続き、
ここに収める《Weinen, Klagen, Sorgen, Zagen》
BWV 12(ユビラーテ主日=復活節後第3主日用)は、
バッハが新しい契約条件のもとで作曲した第2作です。
ヴァイマル時代初期のカンタータに見られる並外れた音楽的野心は、
バッハがドレーゼの後継として宮廷楽長になることを望んでいた、
という事情に根をもつのかもしれません。
このカンタータのテキストは、
当該主日の福音書朗読であるヨハネ福音書16章16–23節
(「あなたがたは泣き悲しむが、世は喜ぶ。あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる」)
の中心思想を展開します。
作者は、ヴァイマル宮廷説教者(宮廷付牧師)
ザロモ・フランクであったと考えられています。
冒頭合唱は、使徒言行録(使徒録)14章22節
「多くの苦難を経て神の国に入らねばならない」という句によって説明される聖句を、
パラフレーズ(言い換え)として歌い出します。
これに3つのアリアが続きます。
第1アリアは内容面で合唱を直ちに受け継ぎ、
作曲にあたってバッハは、
オーボエとアルト声部がほぼ対等に活躍する典型的な
トリオ形式 の書法を選びました。
続くアリア《Ich folge Christo nach(私はキリストに従う)》では、
声部間の模倣によって「キリストに従う」ことが音楽的に表象されます。
アリア《Sei getreu(忠実であれ)》では、
テキストが黙示録 2章10節「死に至るまで忠実であれ」を強く想起させることもあり、
ヴァイマル時代の他のカンタータと同様に、
器楽のカントゥス・フィルムス(定旋律)が置かれます。
ここではトランペットがコラール
《Jesu, meine Freude(イエス、わが喜び)》の旋律を奏します。
終曲コラールには、ザムエル・ローディガスト作詞の
《Was Gott tut, das ist wohlgetan(神のなさることは、すべてよし)》第6節が用いられ、
バッハはこれを5声に作曲しています。
4つの歌声部に加えて、
自筆総譜では指定のない高音のオブリガート楽器が加わります。

バッハは、この冒頭合唱(聖句パラフレーズ)に先立って、
シンフォニアを置きました。
その性格は、オーボエ協奏曲の緩徐楽章を思わせ、
悲嘆(Trauer)の情感を表します。
同じ情感は冒頭合唱にも貫かれており、
とりわけ主要部は、
ラメント・バスの上に築かれたパッサカリア、
長い音価や二倍の小節(double-length bars)の用法は、
17世紀にさかのぼる古風な様式を想起させます。
シンフォニア同様、
調号に変ニ(D♭)を記さないドリア風の記譜も特徴的です。
バッハはこの楽章で悲嘆の情感を
模範的に表現し得たと確信していたらしく、
約30年後、これを《ミサ曲ロ短調》の「Crucifixus」へ転用することを決めました。
このカンタータの原典資料は不完全な形で伝わっています。
自筆総譜のほかに残るのは、歌のパート譜と数字なし通奏低音譜のみです。
しかし、これらから少なくとも、
このカンタータがバッハのライプツィヒ就任初年度に再演されたこと、
そしてその際にト短調で演奏されたことが読み取れます。
バッハの死後、このカンタータの自筆総譜は
息子カール・フィリップ・エマヌエルの手に渡りました。
遺品が1805年に競売に付された際、
自筆総譜は ゲオルク・ペルヒャウ(1770–1836)により購入され、
その相続人が1841年にベルリンの王立図書館(現:ベルリン国立図書館)へ譲渡しました。
一方、初演時の声楽パート譜のセットの来歴は、
これほど明確ではありません。
ハレのカントール(教会音楽家)ヨハン・クリスティアン・ベルガーが、
第6曲のために(ト短調→イ短調へ移調したうえで)
ソプラノまたはテノール用の追加声部を作成していることは、
少なくともこの単独楽章が、
ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハがハレで
音楽監督を務めていた時期(1746–1764)に演奏された可能性を示唆しています。
注(原文脚注の訳)
バッハ《ヨハネ受難曲》のアリア《Ich folge dir gleichfalls(私もあなたに従います)》は、非常によく似た音楽的手段で書かれており、同じ調性にあります。
終曲コラール(※オブリガート楽器なし)は、バッハがカンタータ《Lobe den Herrn, meine Seele》BWV 69 にも転用しています。カール・フィリップ・エマヌエル・バッハの遺品目録(ハンブルク、Schiebe 1790, p.77)には、次のように記されています:
「Am Sonnt. Jubilate: Weinen, Klagen etc. Mit 1 Hoboe und Fagott. in Partitur.」
(=「ユビラーテ主日:Weinen, Klagen ほか。オーボエ1とファゴット付き。総譜で。」)
制作ノート
バッハのヴァイマル・カンタータの通常慣行の通りに、
コーアトーン A≒465Hz にて演奏いたします。
また終曲コラールについて、
バッハは原自筆総譜に 5声で書いたこの楽章に、楽器名の指定を付していません。
本公演で提案する解決法として、
カンタータ 《Der Himmel lacht, die Erde jubilieret》BWV 31
の事例(現存資料の状況)を参照し、
一番上のオブリガート声部を、
TrombaとViolin Ⅰ にて演奏することといたします。
2026年1月22日
圓谷俊貴
1. シンフォニア
“Sinfonia”
楽曲の分析
ヘ短調は、バッハが強い悲嘆の表現に好んだ調性
と言われています。
オーボエ協奏曲の緩徐楽章を思わせる楽想は、
悲嘆(Trauer)の情感を表します。
このカンタータでもヴィオラは2声部に分かれており、
これは、フランスのオペラにおける
標準的なオーケストレーションを参考にしたものだと思われます。

弦楽器の 2音毎に付けられたスラー はため息のように響きます。
それらは、時に11度の跳躍を伴います。
14小節3拍目のフェルマータは、
Parrhesia 突然の不協和音 と abruptio 突然の中断
のアフェクトが使われています。

2. 合唱
“Weinen, Klagen, Sorgen, Zagen”
歌詞
Weinen, Klagen,
Sorgen, Zagen,
Angst und Not
Sind der Christen Tränenbrot,
Die das Zeichen Jesu tragen.
涙し、嘆き、
憂い、おののき、
不安と苦難は、
イエスのしるしを負う
キリスト者たちの涙の糧である。
楽曲の分析
シンフォニアの悲嘆(Trauer)の情感は
冒頭合唱でも貫かれています。
《ミサ曲 ロ短調》 BWV 232 の「Crucifixus」に転用されて、
あまりにも有名な音楽です。
前半(主要部)は、ラメント・バスの上に築かれたパッサカリア、
長い音価や二倍の小節(double-length bars)の用法は、
17世紀にさかのぼる古風な様式を想起させます。
シンフォニア同様、
調号に変ニ(D♭)を記さないドリア風の記譜も特徴的です。

中間部では un poc’allegro となり、
モテットを想起させる楽曲構造が特徴的です。
器楽は colla parte で合唱を支えます。

3. レチタティーヴォ(アルト)
“Wir müssen durch viel Trübsal,”
歌詞
Wir müssen durch viel Trübsal in das Reich Gottes eingehen.
(Acts 14:22)
私たちは、多くの患難を経て、
神の国に入らなければならない。
(使徒言行録 14:22)
使徒言行録 14:22
「わたしたちは多くの苦難を経て、神の国に入らねばならない」は、
単独の格言ではなく、
パウロとバルナバの第一回伝道旅行の
“帰路” で語られた励ましの言葉です。
アンティオキア教会で聖霊により派遣されたパウロとバルナバは、
各地で宣教します。
イコニオンでは多くの人が信じる一方で強い反対が起こり、
危害・投石の企てまで生じます。
ルステラでは、生まれつき足の不自由な人の癒しをきっかけに
群衆が二人を神々(ゼウス/ヘルメス)として祭ろうとしますが、
その後、反対者に扇動された群衆がパウロを石打ちにします。
それでも彼らはデルベで福音を伝えた後、
危険だった町々(ルステラ・イコニオン・アンティオキア)へあえて戻り、
弟子たちを力づけ、「信仰にとどまるよう」勧め、
その文脈で14:22(「わたしたちは多くの苦難を経て、神の国に入らねばならない」)を語ります。
さらに各教会に長老を立て、
祈りと断食をもって委ねます。
最後にシリアのアンティオキアへ戻り、
神が異邦人に「信仰の門」を開いたことを報告します。
これが次章15章(異邦人に割礼を求めるか、というエルサレム会議)
へつながっていきます。
楽曲の分析
多くの苦難は、
減七の和音(不協和音)と共に描かれます。
ヴァイオリン1はハ長調の音階を7小節かけて登り、
「神の御国に入り」ます。

4. アリア(アルト)
“Kreuz und Kronen sind verbunden,”
歌詞
Kreuz und Kronen sind verbunden,
Kampf und Kleinod sind vereint.
Christen haben alle Stunden
Ihre Qual und ihren Feind,
Doch ihr Trost sind Christi Wunden.
十字架と王冠とは結びつき、
戦いと宝物とは一体である。
キリスト者はどの時にも
苦しみと敵を負っている。
しかしその慰めは、キリストの御傷である。
楽曲の分析
十字架と王冠、戦いと宝物は同一であるという
神秘性を表現するために、
オーボエとアルト声部がほぼ対等に活躍する
トリオ形式 の書法が選ばれています。
楽想は、枷を外そうともがいている様な印象を受けます。

5. アリア(バス)
“Ich folge Christo nach,”
歌詞
Ich folge Christo nach,
Von ihm will ich nicht lassen
Im Wohl und Ungemach,
Im Leben und Erblassen.
Ich küsse Christi Schmach,
Ich will sein Kreuz umfassen.
Ich folge Christo nach,
Von ihm will ich nicht lassen.
私はキリストに従う、
この方を決して離さない。
幸いのときにも苦難のときにも、
生のうちにも、死にゆくときにも。
私はキリストの辱めを受け入れ、
その十字架を抱きしめる。
私はキリストに従う、
この方を決して離さない。
楽曲の分析
この楽曲の主題は、
終曲のコラール旋律をモチーフにしていると思われます。
この楽曲から、プラス(前向き)の領域に転じます。
「キリストに従う」という決意が、
喜びを持って歌われます。
また、この主題が同度のカノンになっていますが、
これは、キリストに従う様を表現しています。
Palilogia テーマの反復・様々な声部での異なる音高での反復

6. アリア(テノール)
“Sei getreu, alle Pein,”
歌詞
Sei getreu, alle Pein
Wird doch nur ein Kleines sein.
Nach dem Regen
Blüht der Segen,
Alles Wetter geht vorbei.
Sei getreu, sei getreu !
忠実であれ、どんな苦しみも
やがてはほんのしばしのものとなる。
雨のあとには
祝福が花ひらき、
どんな嵐も過ぎ去る。
忠実であれ、忠実であれ!
(Instrumental Chorale:
Jesu, meine Freude,
meines Herzens Weide,
Jesu, meine Zier!
Ach, wie lang, ach, lange
ist dem Herzen bange
und verlangt nach dir!
Gottes Lamm, mein Bräutigam,
Außer dir soll mir auf Erden
nichts sonst Liebers werden.)
(“Jesu, meine Freude,” verse 1)
(器楽コラール)
イエスよ、わが喜び、
わが心の糧、
イエスよ、わが誉れ。
ああ、どれほど長く、ああ長く、
この心は不安におののき、
あなたを慕い求めてきたことか。
神の小羊、わが花婿よ、
あなたのほかに地上で
私にとって愛しいものは何ひとつない。
(「Jesu, meine Freude」第1節)
楽曲の分析
「忠実であれ」とテノールが戒めます。
「その道は簡単なものではない」とでも言わんばかりに、
厳しい試練のようなメリスマが立ちはだかります。
トランペットの奏する「イエスよ、わが喜び、」
のコラールは、光・指針として我々を導き、
忠実であることを叶えて(導いて)くれます。

7. コラール
“Was Gott tut, das ist wohlgetan,”
歌詞
Was Gott tut, das ist wohlgetan,
Dabei will ich verbleiben.
Es mag mich auf die rauhe Bahn
Not, Tod und Elend treiben.
So wird Got mich
Ganz väterlich
In seinen Armen halten:
Drum laß ich ihn nur walten.
( “Was Gott tut, das ist wohlgetan,” verse 6)
神のなさることは、すべてよし。
私はそのことに留まり続ける。
荒々しい道へと
苦難・死・悲惨が私を追いやろうとも、
それでも神は
父のように
その御腕に私を抱いてくださる。
ゆえに私は、ただ神の御心に委ねる。
(「Was Gott tut, das ist wohlgetan」第6節)
楽曲の分析
終曲コラールには、
ザムエル・ローディガスト作詞の
《Was Gott tut, das ist wohlgetan(神のなさることは、すべてよし)》第6節が用いられ、
バッハはこれを5声に作曲しています。
4つの歌声部に加えて、
自筆総譜では指定のない、
高音のオブリガート楽器が加わります。
全てが神の御旨であると、
結論を導きます。
